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| 2月12日 (祝日) |
世間は3連休で浮かれ気分なのに今日は仕事だった。普段よく休んでいるので大きなことも言えず淡々と仕事をこなし、いつもよりずっと早めの15:00に帰宅。 こんな気分の時は何を聴こうかとしばし考え、Curtis Meyfiledを立て続けに2枚聴いた。Curtis Meyfiledの自然なリズムはいつ聴いても心地良い。 とつぜんVelvet Undergroundを聴きたくなり、部屋中を探す。何年かぶりに聴いたのだがやっぱりヘタウマ。でもルー・リードは声だけで酔わせてくれる。歌詞の内容が理解できなくても歌声だけで魅了されてしまうアーチスト達〜ディラン、マーリー、ボウイ、ポリス・・・、みんな鼻にかかった歌声の持ち主である。 「ストレンジ・デイズ/村上龍」を読了。「戦慄のカルト集団/ジェイムズ・J・ボイル」を読み始める。途中で投げ出しそうな予感。 |
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2月13日
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今日は休日。前日22:00前に眠ってしまったおかげで5:00に目覚めてしまう。Napstarを使って”ジャンケンピョン”やm-floなど、はやり歌を数曲をDLする。Napstarは相変わらず賛否両論あるが、使う方にはおいしいソフトである。それにしてもINの通信速度は何とかならないものだろうか。地域格差がますます広がっていく。 オルケスタ・デラ・ルスを聴きながらHP掲載用のEP盤ジャケットをスキャナで取り込む。130枚ほどスキャンする。一連の作業は楽だが、無から有を生み出すことはしんどい。また更新が遅れてしまった。単純作業のBGMにラテンは最適である。 ビデオでラストデイズを見た。〜中国がアメリカに牙を剥く!ポリティカル・アクション大作〜というふれこみだったが、まったくの駄作。日米共にVシネマ的な物はつまらない。核戦争終末ものではザ・デイ・アフターが一番面白かった。 |
2月14日
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仕事帰りの高速道路でZARDを聴いた。FMラジオでのZARDリクエストベスト10ってな感じの番組だった。リスナーからの反応は一様に「ZARDから勇気と元気を貰った」と言うようなものだった。確かに歌詞をよく聴いてみるとみな前向きな内容である。ヴォーカルの泉水ちゃんの歌唱もストレートで、それだけに受け手にまっすぐ伝わるのだろう。 しかしまて、そんなに簡単に勇気とか元気とかを貰って良い物なのだろうか?きっとZARDのリスナー達はみな「いい人」で熱心に口説きさえすれば、マルチ商法もカルトな宗教も、割と信じ込んでしまうタイプなのではないだろうか。 ZARDが悪いという気は更々ないのだが、リスナー達は疑問や恨みを感じる歌に耳を塞いでしまっているような気がする。私はどちらかと言えば、そんな毒のある歌の方が好きだ。 でも、ZARDを聴いていて、サビをほとんど歌える自分が少しだけ恥ずかしかった。 |
2月15日
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タケノコのキムチを食った。友人が自家製のキムチをもってきてくれた。定番の白菜キムチを初めいろんな野菜のキムチ作りに今こっているらしい。私が一番気に入ったのがタケノコを薄くスライスしてキムチにした物だ。シャキシャキ感はそのままで、強烈な辛さとほんのりとした酸っぱさ。今夜はおいしい酒が飲めそうだ。この季節、酒はバーボンのお湯割りに限る。ストーブの上でチンチンわいている熱湯で少し濃いめのお湯割りを作り、フーフー言いながら飲んでいる。 北斗七星を見た。駐車場に車を置いて、家の前の堀に向かって立ちしょんべん。見上げれば満天の星空。北斗七星から何個伸ばすと北極星だったかな、などと考えながらブルッと震える。男に生まれて良かったと思う一瞬だった。 |
2月16日
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朝の9時半からFMで女性演歌歌手特集を聴いた。明るい日差しの中で聴くド演歌・ネオン歌謡は妙な気分だった。10数人の女性歌手が紹介されたのだが、私のお眼鏡にかなった歌手は以下の三人。藤圭子、都はるみ、青江三奈である。この三人については、そのうちに詳しく書かなくてはならないなと思った。 夜、福島FMで腹が立った。”Knike”というDJである。彼のDJは軽妙な語りでなかなか気に入っていたのだが、軽薄な一言で興ざめしてしまった。先日のハワイ沖潜水艦事件に対する総理の対応のまずさについての一言だったのだが、彼は、「日本でも直接選挙で総理を選ばなくてはならない。」と言ったのだ。私の知る限り「先進国」と呼ばれる国で直接選挙で元首を選んでいる国はない。自国の総理を憂うのは良しとしよう。しかし、その総理を選んだ政党を第一政党に選んでしまった自分たちの責任と自覚を求めるべきではないだろうか。 公共の電波に乗せて言葉を発する以上、ましてや自分のキャラ以外の事柄を言う場合、軽率な発言は慎んで貰いたい。だいたいにして、この問題が憲法改正にまで及んでしまうことを彼は知っているのであろうか。現首相には退陣して貰いたい気持ちは私も同様なのだが、選挙で彼の属する政党に投票をしなかったとはいえ、何度裏切られても同じ政党に大きな力を与えてしまっているのは我々有権者の責任であることを自覚したい。 |
2月17日
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WARP/ジュディ&マリーを聴いた。バンドとしての完成度はかなり高い。ここまで来てしまえば後は各の進む方向の違いから解散はやむなしといったところだろう。今の日本のでは間違いなくトップクラスだろう。彼らを初めはREBECCAの亜流バンドと思っていた。ヴォーカルではYUKIの方がNOKKOよりも格段上である。バンドとしての方向性はかなり違うが、REBECCAが土橋と小田原の双頭バンドの印象が強かったのに比べて、ジュディマリの方がアイデアと冒険性という点では面白い。全アルバムを聞いてみたくなった。 「アー・ユー・ハッピー?/矢沢永吉」を買ってしまった。珍しく新刊・初版でである。〜伝説の「成りあがり」は、壮大な予告編だった。〜帯のコピーに引きつけられてしまった。50歳を越えたYAZAWAはよりパワーアップしていた。彼にはいつまでも我々の前を走っていて貰いたい。2時間もあれば読み終えてしまう本だが、「成りあがり」と同様きっと年に一度は手にする本になるんだろうなあ。 |
2月18日
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TVでフェブラリーステークスを観た。結果は「いつもの通り」ってやつだが、予想した展開とほぼ〜この「ほぼ」が問題なんだけど〜同じだったので気持ちがいい。TVの前で熱くなってしまった。いくら叫んだところで騎手とおんまに届くわけはないのだが、つい「そのままーっ!」と大声を上げてしまった。馬券をはずしても、1分半あまりのレースの為にあーだこーだと1週間悩み、ライブ会場並に興奮するのだから、入場券を買ったと思えば安いものさ。・・・・・と、毎回自分を納得させているような気がする。たまには「ヨッシャーッ!」と叫びたい。 画面に向かって叫ぶと言えば、子供の頃映画館でヒーローがあわやって場面では館内中に悲鳴と歓声が飛び交い、主題歌の大合唱などがあったのだが、今の子供達にもあの興奮と一体感はあるのだろうか? |
2月19日
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「アー・ユー・ハッピー?/矢沢永吉」を読んだ。面白い(親切な)特典が付いていた。98年にオーストラリアであったスタッフによる30億円以上の詐欺事件のことなのだが、『裁判中なので詳しいことは書けない。裁判終了後には増補版を出すつもりだが、この版を買った人にもう一冊買ってくれとは言えない。返信用封筒と読書カードを送ってくれれば、増補分を郵送する。』というものである。昔買った六法全書を思い出した。ケジメを大切にするエーチャンらしい新システムだと思った。きっとこのことでも出版社と揉めたのだろうな。 ヤザワ曰く「アー・ユー・ハッピー?」の裏には「アー・ユー・ファイティング?」が隠されているらしい。「だから飯がうまい、酒がうまい、家族が愛しい。」と言っている。こういう言葉に素直にうなずいてしまう自分が、今日はとっても愛おしいのでありました。 |
2月20日
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SAKURA/ROOM508を聴いた。全曲カバー集である。昨年の小柳ゆきのアルバムの成功がこの企画アルバムの弾きがねになっているのだろう。どうしても小柳のアルバムと比較して聴いてしまう。正直いって小柳のアルバムと比べるとかなり劣る。まず気になるのが選曲である。FMラジオのリスナーのリクエストで選ばれた曲を歌ったらしいが、このようなカバーアルバムを作る場合はシンガー本人に選曲を任せた方が、歌い手のバックボーンや生い立ちが解って面白いと思う。前述の小柳ゆきのアルバムも決して小柳自身の選曲とは思えないが、あの場合はスタッフのセンスが光りバリエーションに富んだアルバムに出来上がっていると思う。このアルバムの場合、曲のムードがみな同じ傾向なので、驚きがないのである。 しかし"A Song For You"はなかなかの秀作である。前後の曲の流れから当然カーペンターズ風にくるのかと思いきや、オリジナルのレオン・ラッセルの粘っこい味が出ていて、このアルバムの中では異色である。 スタンダード曲を人によって違った解釈で聞かせてくれるこのようなカバー集が好きである。レノンの「ロックンロール」、ディランの「セルフ・ポートレート」、マッカートニーの「ラン・デビル・ラン」などは永遠の愛聴盤である。急にジョー・コッカーの「マッド・ドッグズ&イングリッシュメン」が聴きたくなった。 |
2月21日
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Mad Dogs&Englishmen/Joe
Cockerをやっと探し出して聴いた。部家を整理しなくてはと切実に思う。目当ての本やCDを見つけるのにいつもてんてこ舞いなのだ。 さて約1年ぶりに聴いたジョー・コッカー。眠気が吹っ飛んだ。ストーンズの”ホンキー・トンク・ウィメン”で始まって、レオン・ラッセルの”デルタ・レディー”のエンディングまで、文字通り熱狂のステージである。単調なノリノリライブに終わらずステージにメリハリをつけコッカーの歌声をよりいっそう光らせているのは、ミュージック・ディレクターを務めているレオン・ラッセルの力が大きいのだと思う。彼のピアノ一つをとっても、様々なスタイルで楽しませてくれる。 私が選ぶベストトラックはビートルズの"She came in thru the bathroom window"だ。これでもか!これでもか!と血管が切れそうになるくらい歌い上げるコッカーの汗が飛んできそうだ。当時でもこれだけのステージングができるシンガーは、彼らの他にはサム&ベイブくらいだったんじゃないかな。と思いながら部家を探したが、サム&ベイブのライブ盤が見あたらない。今度の休みには本格的に部家掃除をしなくてはと思う。 あえてワーストトラックをあげると、リタ・クーリッジがフィーチャーされた"Superstar"だ。リタ・クーリッジは好きなシンガーなのだが、この時の彼女はいったいどうしたんだろう。てんで音程があやふやなのである。回りの強者共の迫力に気負ってしまっていたのだろうか? |
2月22日
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FMでBirdland/Weather
Reportを聴いた。ラジオでWeatherを聴くなんて久しぶりだ。昔あれほど活気のあったフュージョン&クロスオーバーミュージックはどうなってしまったのだろう。JAZZのライブを聴きに行かなくなって久しいが、ライブハウスで飲みながら聴くのはフュージョンが一番楽しい。なんてったって汗をかいてビールが美味いし、なにより眉間にしわ寄せて身体を揺すりJAZZをひとり背負っているような”なんちゃってJAZZファン”がいないのが良い。 もう何年前になるだろう、K市にWeather Reportがやって来たことがあった。当時世界一のバンドである。JAZZファンもROCKファンもこれから起こるであろうすてきな時間に心を抑えきれずに会場は興奮でいっぱいだった。しかし開演時間が過ぎても演奏は始まらない。スタッフがPAとザビヌルの楽器群にかかりきりである。1時間も待っただろうか、突然コンサートは始まった。だがやはりザビヌルの楽器の調子が悪い。そしてザビヌルはステージから退き、コンサートは終わってしまった。当然会場はブーイングの嵐。「金返せ!」コールの大合唱。そこにジャコ登場。いきなり閃光のようなベースソロ。そして”バードランド”。人知を越えたベースソロだった。ジャコのソロは10分足らずで終わった。だが会場に集まっていた観衆をメロメロに酔わせてしまった。「すごかったなー」みんな同じ事を言っていた。みんな充分に満足して静かに会場を後にした。ほんとにすごかったのである。「すごかった」としか言いようの無いほどすごかったのだ。あの場に居合わせて、あのソロを聴いたことは私の宝物である。 しかし不世出のベーシスト、ジャコ・パストリアスは鬼籍の人になってしまった。幾多のミュージシャンが音楽界を駆け抜けていったが、私はジャコほど死を惜しんだミュージシャンはいない。 |
2月23日
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今週は長い一週間に感じられる。もー、バテバテ。「ホームページ視聴率Tool」というフリーソフトをダウンロードしてみた。世の中には面白いソフトを作る人がいるもんだ。このソフトを入れている人が今どののHPを見ているのが解るソフトである。何の役にも立たないソフトなのだが、「他人はどんなHPを見ているのだろう」という好奇心は充分満足できるのかも知れない。使ってみるとなかなか面白い。 「ウィルス定義のダウンロード」をしている人もいれば、「窓の杜」を見ている人もいる。「ランジェリー戦士パピヨンローゼ」って何?行ってみようかな?・・・と、目的もなくネットをうろつくのにはかなり面白いソフトかも知れない。下世話な好奇心だが、他人の趣味をのぞき見るのって面白い。『パソコン無料サポートとオンラインソフト』からDLできます。 |
2月24日
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The
夜はヒッパレを見た。久しぶりに見たらえらく色モン番組になってしまっていた。音楽番組というよりは「隠し芸大会」の色合いが濃くなってしまっている。非常に残念だ。「私、歌も歌えます」よりも「私ならこう歌います」という時代の方が面白かった。尾崎紀世彦やつのだ☆ひろ、マルシアやマリーンが今時のはやり歌をそれぞれの料理法・味付けで聞かせてくれた頃は驚きもあったのだが、現状はちょっとひどい状態である。 思えば私がMISIAを知ったのは、この番組でマリーンが歌った「つつみこむように」を聞いてだった。いい曲をいい曲のままで、もしくはもっといい曲として聞き手に紹介するのがこの番組の良いところだと思っていたのだが、今のままでは、来週も見てみようという気はとても起きない。得るべきところをあえて見つけるとすれば、知念ちゃんの成長だけである。安室、MAX、SPEEDらオキナワンのギャラが高くなったから、色モンでお茶を濁しているように思えてならない。十把一絡げで頭数だけそろえたところで「身」がなきゃしょうがないと思うのだが・・・。 |
2月25日
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昨日の夜からPCの調子が変(大量のデータを移動すると途中で止まってしまう)だったので、いろいろいじるよりも「今日は休みで予定もない。久しぶりの再セットアップだ」と始めてしまった。手慣れたもので、データをCからDに移動させ、FDISKで領域を作り直してOSを入れ直した。ここまでで約1時間。あとは、Dからの引っ越しと設定で、3時間コースかな?と思っていたら大問題発生。Dから大量のデータをいっぺんに移動させたり、CD−Rから大きなソフト(Office2000)などをインストールしようとすると、ブルー画面。「エラーだよー」って止まってしまう。つまり、セットアップ前と変わっていない状況なのだ。なんで〜!?? てな訳ですっかりふてくされてしまい、デフラグをかけていたら8時に眠ってしまった。おかげでこんな時間(3時)に目覚めてしまった。まあ明日も休みだからいいようなものだが、明日の一日もPCいじりで暮れてしまいそうなのが辛い。 |
2月26日
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ほぼ一日中PCに振り回される。3回もセットアップをやってしまった。依然症状は変わらず、お手上げ状態ってとこです。何度「スキャンディスク」の青い画面を見ただろう、システムファイルチェッカーを使って診断しようとしても、最後まで行く前に止まってしまう。ソフトの問題よりも、M/BかCPUの問題かもしれない。となると、大事だ!大きなデータを動かさなければ別に問題は出ないのだから、しばらくこのまま使うか、思い切ってPCをばらして組み立てなおすか悩んでしまう。 さて明日はボブ・ディランの仙台公演だ。久しぶりの大物コンサート。ワクワクする。彼のコンサートの場合、彼の歌う歌詞の意味がわかれば何十倍も楽しいのだろうが、いかんせん貧しい語学力、歌詞をリズムで捕らえるしかできないのが悲しい。 「眠って起きたらPCが治っていた。あの騒ぎは何だったんだろう?」・・・・・てなふうに・・・・・ならないだろうなぁ・・・・ふぅ。。。 |
2月27日
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Bob Dylan
を見てきた。詳しくは後に書くことにして、印象に残ったことを書いておく。 客席の後ろのアメリカ人のおばちゃん(?)が「Today is my birthday!Forever Young」と数回叫んでいた。客席からは「おめでとー」の声がかかる。そしたらDylanさん、歌ってくれちゃいました。Dylanにはストラトキャスターが良く似合う。アコギから白のストラトに持ち替えた時、何故かやっとDylanに会えたって感じがした。高校時代から彼を聴き始め〜そのとき彼は隠匿生活に入っていた〜アメリカで「復活ツアー」が始まり芸能人たちが彼を聞くのに渡米した記事を見て羨ましがり、数年後来日、BUDOKANライブの時には忙しくて行けず、思いもかけず仙台で、それも割と小さなホールで彼を聴くことができるとは思わなかった。バングラデシュコンサートの映画館にラジカセを持ち込んで息を殺して録音をしたのを思い出した。 アコースティックの曲はカントリーの匂いがした。どちらかというと嫌いなDylan(ナッシュビル・スカイラインの頃)なのでとまどった。ステージにウッドベースとスチールギターを見つけた時に嫌な予感はしていたのだが・・・。 エレクトリックな曲では、ソリッドでストレートなロックをしてくれた。これには大満足。曲名はわからないが、単純な12小節のブルースコードの曲なんかは、ディランロックの真骨頂と感じた。やっぱりディランはロックの子。「Like a rolling stone」は、やっぱりピアノのイントロがいいなとも思ったが、カントリー色が強いのもソリッドなロックで叫ぶのも、皆今のディランなのだと納得した。昔のヒット曲をそのままのアレンジで歌えば、観客の反応が良いのは判っている。それをあえて裏切るような構成で演じるディランに「転がる石」を見たような気がする。"How does it feel?How does it feel?" 「どんな気がする?どんな気がする?」ずっと頭の中でリフレインしている。 |
2月28日
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昨日の興奮冷めやらずって感じでずっとBob Dylan
を聴いていた。好きな曲がいっぱい入っていて、バックの演奏はザ・バンド。ディランの張り切りようも最高ってな訳で、私のディランベストレコードランキング第一位は『偉大なる復活』に決定した。しかし悲しいかなこのレコードはCDで持っていない。CDに買い換えなければ。CDの時代になって棚に並ぶCDの背表紙で内容の識別が出来なくなってしまった。LPレコード場合はジャケットの続きって感じで背表紙を見ただけでジャケットのイメージがわいてきたのだが、CDは顔を近づけて文字を読まなくてはならない。何とかならないものだろうか。30Cm四方のLPジャケットはキャンバスとしても最適だった。気に入ったジャケットは壁に掛けておいたりしたものである。ジャケット専用の木枠額縁なんかも売っていた。ストーンズの「ステッキー・フィンガーズ」などはファスナーで隣のジャケットに傷が付くと当時は不評だったのだが、今やコレクターズアイテム。中古ショップで高価で取り引きされているらしい。物の価値観も技術の進歩によって変わってしまうんだなあと思ったところで2月が終わった。 明日から3月。なんと4日振りの仕事である。年休消化のために3月もかなり休めそうだ。ありがたいことだ。 |
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| 3月1日 (木) |
インターネットカフェを初体験した。1時間450円、後は10分ごとに50円だった。PCは”VAIO”液晶ディスプレイだった。FDDは付いていない。DVD&CDR/RWが付いているのだが書き込みソフトははずしてあった。いきなりPCの前に座って、さー始めようとしても「お気に入り」は空っぽだし、どのページのURLも覚えていない。検索エンジンにつないでも何の目的もなく入ったもので何を探していいのやら困ってしまうばかり。結局自分のページにつなぎリンクからうろうろするばかりだった。 INカフェって、何をするところなのだろう。みんな何をしているのだろう。不思議に思った。せめてFDDが使えればKUDメールを作っていってメールを出せるのだが、それも出来ない。WEBメールを使いこなさなくてはいかんのだろうか。 実は早い回線を使って大きなソフトをダウンロードするつもりでいたのだ。でもDLしたところで保存して持ち帰ることが出来ない。文書を作ったり画像やMP3をDLしても同様である。ほんとにみんな何をやっているんだろう。せめてFDDが使えれば目的のページのURLを持っていけるのだが、きっともう二度と行かないような気がする。昼寝をしてた方が良かった。 |
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3月2日
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ラジオを聴いていたら今日はやたら卒業式ネタが多かった。昨日が県立校の卒業式だったらしい。涙の卒業式もあれば暴力沙汰の卒業式もあったらしい。自分の卒業式を思い出してみるとなかなか面白かった。何よりもうれしさが先立った卒業式だった。尊敬できない先生達と別れられることの方が、仲が良かった友達と離れることよりもうれしかったのだ。つまらぬ規則、時代遅れの学生手帳から抜け出せるという思いが大きかった。あの頃は完全に先生を馬鹿にしていて、彼らから学んだことは皆無だと思っていた。(今でもその考えはたいして変わらない)だから「仰げば尊し」「君が代」そして「校歌」までも歌うことを拒否し、他の生徒達にも同調するようにらみを利かせていた。反抗することが大人になる一歩だと思っていたのだ。 今の高校生達はどの様な想いで式をとらえているのだろうか。私たちの頃は何をやるにも、その意義と目的を探して、そしてこじつけていた。昔の高校生の方が良かったとは一概に言えないが、少なくとも「反抗」に対しては利が通っていたと思う。先生と討論もした。「ヘリクツを言うな!」だいぶ言われた。ヘリクツでも、言えない人間よりは言える人の方が偉いのだ。 『時代』だったんだよ。と、友達が言っていた。確かにそうかもしれない。だとすれば確実に言えることは、今よりも『良い時代』だったと言うことだ。 |
3月3日
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前に途中で投げ出してしまっていた超電導ナイトクラブ/村上龍を読み返した。どうも一気に読み終えられない小説は苦手だ。これも仕事の休憩時間に少しずつ読み進んで1週間かかっての読了だった。前半はなかなか良いペースで読み進んでいくのだが、中盤から一気にペースダウンしてしまう。物語の展開が進まなくなると読めなくなってしまうというのは私の欠点である。 この小説は非常に舞台的な書き方をされている。場の設定は銀座の超電導ナイトクラブの内部だけ。登場人物も全員等身大の大きさでかかれている。核となる主人公が特定できないのだ。筒井のようなはちゃめちゃシーンの連続で、かといって筒井ほど吹っ切れていない。村上龍は今の日本で一番才能のある作家の一人であると思うのだが、作家の調子と読み手の調子がシンクロしないときは少し苦しい。それでもママを李、こびとを唐、カルロスを赤麿児、などと状況劇場の幕を見ているように仮想して読み進んでいく分にはなかなか面白かった。 |
3月4日
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私の日曜日に欠かせないのが競馬である。これがあるおかげですっかり出不精になってしまう。今日は弥生賞。これでクラシックのトライアルもスプリングステークスを残すばかりでいよいよ春到来というところだ。人によって季節を感じるのは様々だろうが、競馬ファンにとっては桜花賞・皐月賞が近づいてくると春がやってきた実感がする。ところがこの春が忙しい。春が始まったかと思えば、すぐにダービーへ向かってのトライアルがあり、春の祭典日本ダービー・天皇賞と、過去の成績を分析する間もなくあわてふためいてしまう。 さて今年のクラシック、春の二冠は牝馬はテイエムオーシャン、牡馬はアグネスタキオンでほぼ間違いないだろう。今日のタキオンを見た限りでは「圧倒的」といえるほど多の馬と自力の差・完成度の差が感じられた。確かに三冠を狙える逸材である。今から秋にテイエムオペラオーと対戦するのが楽しみになっている。本腰を入れて現時点までの分析をしなければと思う。おんまを追いかけていると一年が早い。 |
3月5日
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宇多田ヒカルを聴いた。ふと彼女が聴きたくなり「First
Love」を久しぶりに聴いてみた。彼女がデビューして大ヒットを放ったとき音楽業界は彼女をR&Bのカテゴリーに入れたがっていたが、無理矢理ジャンル分けをしてしまうのが昔からの日本の変なところだ。 彼女の最大の魅力は「切なさ」だと思っている。「切なさ」の表現力は天性のものなのだろうか。声量、リズム感、楽曲などで彼女をしのぐ歌手はいるが、声質で切なさを表現できるのは彼女だけである。「血」というものを考えてしまう。母、藤圭子もドラマチックさの表現では天性の資質を備えていた歌手だった。ただ、有り余る表現力ゆえに虚構と現実の境界が曖昧になってしまった悲劇的な歌手だった。 宇多田ヒカルのもう一つの特徴は「フェイク」だろう。TVなどで歌うのを聴いた限りでは、一度として同じ歌い方をしていない。自由奔放に歌をいじり回している。ゆえに、彼女のステージは見るたびに新鮮な驚きがある。待ちに待ったアルバムが発売されるらしいが、ほとぼりが冷めてから買いに行くつもりだ。 |
3月6日
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宇多田ママ=藤圭子の怨歌(藤圭子の歌を演歌や艶歌じゃなく怨歌だと言ったのは五木寛之だった)が聴きたくなって、レンタルCD屋に行って来た。藤あやこはあったのだが、肝心の圭子さんは1枚も置いてなかった。ちなみに青江三奈もなかった。ムード歌謡はそこそこの在庫があるのだが、彼女らのような〜ハードエンカと名付けよう〜重い歌手も置いてもらいたいものだ。そこで、困ったときのナップスター。ナップスターのユーザーに藤圭子をハードディスクにしまっている人がいるのか半信半疑でつないでみたら、驚いた、20人ものユーザーがいた。そこでさっそく「圭子の夢は夜ひらく」と「新宿の女」「女のブルース」の3曲をダウンロードさせてもらった。 聴いてみると「すごい!」の一言。「夢は夜ひらく」は背筋に寒気が走るほどの素晴らしさだ。この歌のベストトラックは三上寛ヴァージョンだと思っていたが、三上寛のは歌詞に凶器があるが、こちら藤圭子は存在が刃だ。うーん、まいった。 |
3月7日
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悪夢を見た。目覚まし時計を16:00にセットして14:00から昼寝タイムに突入した。睡眠不足が重なりピークに達していたのか普段昼寝をするときはヒーターを切り毛布や上着をかぶって寝るのだが、今日はその余裕もなくバタンQだった。1時間半ほどで目が覚めたのだが、気分は最悪、寝汗びっしょり、夢などは見ない(見ているとしても記憶がない)と思っていたのだが、やたらリアリティのある夢だった。バックでスティービー・ワンダーの「迷信」がかかっていたことまで覚えている。 主人公は私本人。注射器で空気を血管に送り込んで自殺をするのだ。ピストンを押し込み体内を空気が巡るのを感じる。そろそろ心臓に来るぞ、胸を捕まれるような痛みがやってくるがそれも一瞬のことだ・・・さあ、いよいよだ。というときに目が覚めた。自殺なんて今まで一回も考えたことはないというのに、なんで自殺の夢なんか見たんだろう。気持ちが悪い。フロイトの夢判断やユングの心理学などではどう分析するのだろう。今夜は夢など見ないよう熱い酒をひっかけてぐっすりと寝よう。夜更かしも程々にしなければ・・・・。 |
3月8日
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ここを通ると知らず知らずのうちに同じ歌を歌ってしまうっていうような場所が誰でもあるんじゃないだろうか。思わず「横須賀ストーリー」を歌ってしまった。 仕事でたいてい同じ道筋を毎日通っているのだが、必ずと言って良いほどそこを通ると横須賀ストーリーを無意識に歌っていて苦笑いをしてしまう。歌詞の通り「急な坂道」を登り切ると目の前にどーぉぉぉんと太平洋が広がる場所なのだが、タイミングまでばっちり合ってしまう。「今も海が見えるでしょぉぉぉか〜」でちょうど頂上に出る。「ここはヨコォスカ〜」でスピードを緩めて海を見下ろすのだ。午後3時頃が一番好きな景色だ。沖には東京発苫小牧行きのフェリーがいて、雄大な眺めなのだ。20年前にあの船に乗って北海道に旅したことなどが思い出される。あの時は吉田拓郎の「落陽」に誘われて旅立った。金はなくともロマンだけを支えに旅が出来た。あの頃に戻りたい気持ちはあるが、戻れないことを知っている大人になってしまったと、ちょっとだけ感傷に浸ってしまった。 |
3月9日
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”香”ちゃんという小学校2年生の姪がいる。これがまた可愛い子なのだ。私は、すっかり姪バカのおじさんなのだ。香ちゃんが詩を書いて送ってきた。先生に誉められたそうなのだ。 「おく上」 社会の時間に 学校のおく上に上った。 すごいんだ。 あすみちゃんちもせりが谷も すぐそこに見えた。 走っていって ルミネをさがした。 だって、 お母さんがはたらいているから。 いっしょうけんめいせのびしたけど、 五味かん光ビルのせいで 見えなかった。 ざんねん。 「ヤッホー。」 ってさけびたかったな。 夕はんの時話して、 「へえー、すごいね。」 ってお母さんがいったかもしれないのにな。 どーだ、うまいでしょ。 才能のきらめきがあるね。 姪バカのお話でした。 |
3月10日
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Love
Psychedelicoを聴いた。近頃お気に入りのミュージシャンなのである。 初めてのアーチストを聴く場合、中には「こんなの聴いたことないぞ」というオリジナリティあふれるミュージシャンもいるが、たいがいは今まで自分が聴いてきた音楽の中で誰に似ているかをまず始めに考えてしまう。さてこのデリコ(若モンの間では略してこう呼ぶらしい)、まず思ったのが70年代中頃から80年初めのダッチサウンドやアメリカ西海岸サウンドだ。つまりショッキング・ブルーやジェファーソン・エアプレーンの感じなのである。楽器の数を極力少なくして、あの頃のチープなサウンドに仕上げているが、これがヴォーカルを際立てていてなかなかいい感じなのだ。 そしてこのユニットの最大の特徴であるのが「日本語の巧妙な英語化」である。英語の日本語化なのかも知れない。SASの桑田も独特の技を見せてくれるが、彼らも十重二十重にトリックを隠して、歌詞カードを見ながら聞いているとうなってしまう部分がいくつもある。自然さでは完全に桑田を超えている。例えば、"You may jah one night"が「夢じゃ終わんない」などの面白い言い回しが多々ある。”Moonly”という曲などはまったく日米の言葉の垣根がない。不思議ワールドである。今までいろんなミュージシャンが日本語のロック化に苦労していたのだが、彼らはアホみたいに簡単にやってのけてしまっている。たまげた。 このアルバムで底は見せていないと思いたい。久しぶりに次作が楽しみなミュージシャンの出現だ。どこかで聞いたことのある懐かしいサウンドで、実はかなりすごいことをやっているバンドだ。また楽しみな奴らが増えてしまった。 |
3月11日
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『U−571』を観た。Uボート物だというのでこの前に見たUボートと同じくドイツ軍が主人公かと思ったらアメリカ海軍が主人公で凝った設定(史実だそうで作為的な設定ではない)だった。私はこの潜水艦映画のような閉鎖的極限状態映画が好きなのだ。”遊星からの物体X””エイリアン””アウトブレイク”などもこの範疇に入るだろう。「逃げ場のない状態での生に対する人間の飽くなき執着」とでも言えばよいのだろうか、次第に迫り来るカウントダウンにハラハラドキドキ、思わず引き込まれてしまう。 潜水艦映画の場合必ず付いて回るのが、水圧との戦い。卵の殻の中での恐怖である。クシャッといったらジエンド。脂汗。緊張感がたまらなくなる。映画の場合、俳優の顔つきが変わっていくという面白みがある。この映画の副艦長(名前は知らない)が最初は嫌みな顔つきの男だったのが、次第に経験を積み葛藤を重ねた結果、いい男になってくるのだから俳優および制作者とは、やはり凡庸な人間では出来ない仕事だなと思った。映画の内容といえば戦勝国にしか作れない映画。個を捨てて全体を守るというかなり危険な思想の美化なのかもしれない。ただ、その考えに否定的な者が観ても緊張感のオブラートに包まれて知らず知らずのうちに納得させられてしまう。かつて映画は戦争肯定の大きなプロパガンダだったと聞く。この映画の是非は別として映画の持つ大衆の意識操作力を考えさせられる作品だった。 さて、今日はビデオの日。続いて『マネートレーダー』を観るつもり。 と言うわけで『マネートレーダー』を観た。経済物・銀行物も好きなジャンルなのだが、何とも薄っぺらい映画であった。ビデオの予告編を見たときには気付かなかったのだが、予告編が全てだった。安っぽいセット、コケディ映画のような場違いな東洋人俳優。TVの2時間ドラマの方がまだましかも知れない。なにしろ主人公に「有能なビジネスマン」の顔がない。 時間の無駄だった。 |
3月12日
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先週totoをやった。結果は言うまでもなくハズレである・・・が、面白い。まず手軽に買えるのがよい。私の場合JOMOのガソリンスタンドで買ったのだが、給油のついでに買えるのがよい。ある程度〜ほとんどかも知れない〜は「運」まかせかもしれないが、自分なりに予想を立てて買えるのがよい。宝くじと同じく的中率は限りなくゼロパーセントに近いのだろうが、情報の収集と自分なりの予想によっていくらかでもパーセンテージを上げられるのがよい。 スタンドで投票用紙をもらい、紙コップのコーヒーを買ってテーブルでじっくり予想をする。一試合ずつ真面目に考えてみた。かなり思い悩む。13試合を予想して1口。\1000分10口購入の予定だったのだが、次第にもうどうでも良くなってきて、5口分の予想をしたところで精根尽き果てダウン。 試合の的中率を見てみると1口目が一番良く、集中力の低下と共に下がって行き5口目になるとメロメロだった。・・・・てことは、集中力がとぎれなければかなりの高い確率で・・・・、1億円も夢じゃないような気になってしまう。 今日、次回の投票用紙をもらってきた。今度は時間をかけてじっくりと予想するつもりだ。 来週の今頃は億万長者の誕生かも?金の使い道は当たってから考えることにしよう。 |
| 3月13日 (火) |
ドラクエZを借りてきてやり始めた。前のシリーズまでは結構本気でやりまくったのだが、今回はどうだろう?なんか、早々と投げ出してしまいそうだ。前の時はPCが無かったからね。 ドラクエのようなロールプレイングゲームを今の子供達はどんな気持ちでやっているのだろう。ストーリーは胸をわくわくさせるような勧善懲悪の物語である。本を読んでいくように物語の展開を楽しみにやっているのだろうか。それとも、ただひたすら攻略を目指しているのだろうか。TVゲームそのものが我々の少年時代にはなかったので、ゲームに夢中になっている子供達を悪くは言えない。なぜなら、私の時代にゲームがあったならばやっぱり夢中になっていただろうと思うからである。 私たちにはゲームはなかったけれど本があった。海底二万哩や十五少年漂流記などのいわゆるジュブナイル小説に胸をときめかせたものだった。登場人物の風貌を想像し、景色を想像し、謎を共に解き明かしていた。頭の中で映像化していたのである。 ひたすらゲームに打ち込むのも良い。ただ画面上で登場人物が限定され、敷かれたレールから逸れないようにゲームオーバーを目指すというのはどうなんだろう。子供達から想像力が奪われてしまっては、未来はつまらないゲームオーバーを迎えてしまいそうな気がする。 |
3月14日
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夜中に家に帰ってきて、ウドの味噌汁を飲んだ。大好物なのだ。ハウス栽培のものなんだろうが、春の匂いがする。日陰にはまだ雪が残っているのだが、確実に春はやって来ている。もうすぐ地物のふきのとう、たらの芽(地元ではタラノモエと呼ぶ)、タケノコがもうすぐ出回るだろう。 いつも通る高速道路ののり面にたらの芽が群生している場所がある。毎年食べごろの時期を横目で見ているのだが、根こそぎ取られてしまう。あれって誰が取るのだろう。高速の路肩に止まって山菜取りをするわけにもいかず、毎年不思議に思っている。やはり、道路公団職員の「役得」ってやつなのだろうか。今年こそは何とかゲットしたいと思っているのだが・・・・。 |
3月15日
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えらいこっちゃ!CD-ROMがぶち壊れてしまった。前々からブ〜ンといやな音を発していたから気になっていたのだが、ついに逝ってしまった。悪いことは重なるもので、そのとき中に入っていたCDがWindowsだった。いつまでたっても読み込みを始めないでブ〜ンとうなって回りっぱなし。取り出してみたらメッキが剥がれるようにシールドに傷が付いてしまった。よりによってWindowsの時に壊れるなんて・・・・。せめてHなCDの時だったらあきらめもつくのに・・・、泣きたい気分。どこのメーカーかもわからぬバルク品なのでどこにも当たれない。あんまり安いバルク品も考え物である。しゃーないからDVD-ROMでも買うしかないなぁ。週末はまたPCを開けなくてはならない。何時になったらウチのPCは落ち着くのだろうか? |
3月17日
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またまたえらいこっちゃ!PCの調子が最悪です。データの移動をするとたちまちエラーメッセージ。前にも同じようなことがあったのだが、不思議なことに自然治癒し「PCもなかなか人間くさいところがあるわい」と妙に感心したのだが・・・・とにかく困った。てなわけで昨夜はPCと格闘しノックアウトされてしまってビデオを見ながらフテ寝してしまったわけです。 「チャイルド・コレクター」を観た。絶対に後味の悪さを味わうだろうなぁと思いながらも、主演がデニス・ホッパーだということで借りてきた。文字にするのもおぞましい内容なのだが、アメリカの恥部を見てしまったような気がする。子供の性的虐待は銃と共に病んだアメリカを思わせる。しかしその恥ずべき部分をあえて映画にしてしまうあたりもまたアメリカのすごさだと思った。「死」を「救い」の方法として認識せざるを得ない犯人を生んだのは、幼少の頃に見た父親による妹への性的虐待だった。愛する妹を救う手段として彼が選んだのは、妹を殺すことだった。願わくば父親を殺してほしかった。 最近日本でも親の育児拒否や暴力などの事件を目にするが、幼い心に刷り込まれた傷は、やがてゆがんだ人間を作ってしまうかもしれない。弱者を虐げる気弱な人間を罰する以上に、虐げられた人間の心を救わなければならない。今読んでいるカルト宗教の本の内容にも同じようなことがあった。強いものに刃向かうのは大仕事だが、弱いものいじめは簡単にできてしまうから始末が悪い。 |
3月18日
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えらいこっちゃの3連発である。今日のえらいこっちゃが一番辛い。財布を落としてしまった。このショックはでかい。当分立ち直れそうにない。 DVD-ROMを買いに行ってHITACHI製を\8800で買ってその足でBOOK-OFFへ。100円均一コーナーで「週間文春傑作ミステリーベスト10」「クリヴィツキー症候群/逢坂剛」「荒野へ/ジョン・クラカワー」の3冊を買ったまではよかったのだが、家に着いてみると無いのだ。どーも駐車場で無くしたらしい。現金はもちろんのことだが、免許証やカード類まで無くしてしまった。現金とカードは別に持つようにとはよく言われているが、まさか自分の身に起ころうとは思ってもいなかった。ほとんど全財産の現金はあきらめるしかないが、カード類や免許証の紛失手続きですっかり消耗してしまった。 もうフテ寝しかありません。あ〜、気が重い。。。 |
3月19日
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荒野へ/ジョン・クラカワーを読み始めた。いいとこのお坊ちゃんが、名門大学卒業後すべての持ち物を捨て所持金を焼いて、バイトとヒッチハイクを繰り返しながらアメリカをさまよい、アラスカの荒野で餓死してしまうという事件のノンフィクションである。最後はうち捨てられた廃バスの中で腐乱死体となって発見されたらしい。自殺ではない。興味深い人生である。 なぜ彼はそのような行動をとったのか、本来ならばアラスカの荒野から帰ってきた彼の話を読むのが最良なのだろうが、今となっては作者の取材によるノンフィクションとして彼の生き方を探るしかない。実をいうと私も似たような指向は持っていると思う。彼の旅が有意義な旅であったのか、それとも不毛の人生しか見つからなかったのか。読み進むのが楽しみである。 表紙に彼の死んだバスが雪の中で写されている。とてもきれいな写真だ。表紙裏のあらすじを読んでこの写真を見ると、何ともいえないものがある。よい表紙だと思う。この本が100円。こういう良質の本が安価で手に入れられるのだから古本や巡りはやめられない。 昨日の財布紛失事件のことだが、紛失物として警察に届けられていた。ここだけの話、6万円以上の現金が入っていたのだ。絶対に出てこないと思っていた。拾ったのは高校生。ひたすら感謝である。今時の高校生もまだまだ捨てたもんじゃないなと、少しだけいい気分になった。もちろん、お礼はしました。ちょっとウキウキ気分である。 |
3月20日
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PCの調子がようやく絶好調時に戻った。エラーメッセージの連続で切れそうになっていたのだが、ふとメモリーかなと思い交換したら簡単に治ってしまった。メモリーが安い時期で良かった。故障の原因はCL3なのに無理矢理CL2として使ったからだろう。今回はきちんと標準仕様で使うことにする。 昨日DJ−GABUさんの番組で変わった「上を向いて歩こう」を聴いたので、アーチスト名を教えてほしいとメールを出したら返事が来ていた。サヨコというレゲェの人で今は廃盤になっているらしい。すぐに教えてくれたGABUさんに感謝。さっそくNapstarで探してみよう。 PCのえらいこっちゃも解消したし運気が上昇期に入っているのかと思う。今週のtotoは期待がもてそうかも。 |
3月21日
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Keyco"晴れ"を聴いた。 Koyanagi Live in Japan 2000 を聴いた。 Sugar Soul Live "Balance" を聴いた。小柳ゆきとSugar SoulのLive盤はどちらも2枚組である。さすがに疲れるが、これが心地よい。 Jazzを聴いていた頃、アーチー・シェップやアルバート・アイラーなどは体力に余裕のあるときにしか聴けなかったものだが、J-Popにも同じような傾向が出てきたのかもしれない。それとも単純に私の体力の衰えかもしれない。しかし「癒し」の音楽よりは、「疲れ」の音楽の方が好きだ。聴いたものがどこかへ通り過ぎてしまう音楽よりは、正面から真剣に立ち向かえる音楽の方が好きだ、。聴き負けてぼろぼろになったら眠ればよい。 どうも今日は負けてしまったらしい。寝よう。小柳ゆきに喰われてしまう夢を見そうだ。 |
3月22日
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CD-Rが壊れたせいで我がPCにもDVDが付いた。レンタル屋から映画を1本とセルDVDを1本買ってきてしまった。映画はどうもなじめない。デスクに座って映画を観ることに耐えられないのだ。画面も小さいし、ビデオデッキでTVで観る方がリラックスできてずっといい。TV画面に出力するとかすればよいのだろうが、ビデオカードまで換える気はないし、DVDは音楽専用になりそうである。セルDVDは「ウッドストック」を買ってしまった。ディレクターズカット盤とかで両面併せて224分もある。そして値段が¥1980。かなりお得な気分である。 10years after や Sha-na-na を久しぶりに見て興奮気味である。音楽ものは良い。もしこの値段で昔の音楽映画が買えるのならば、たくさん集めたいものだ。「バングラデシュ」や「ギミー・シェルター」なんかも観てみたい映画だ。さー、続きを観なくては。。。 |
3月23日
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昨夜に続いてウッドストックのDVDを観ている。昔名画座で一度見た映画なのだが、年月を経て観るとまた違った感覚で観れてなかなか面白い。 中でも再認識したのはジョーン・バエズである。私は今まで彼女をフォークの広告塔のような存在と見ていたのである。ディランの「風に吹かれて」や「ウィ・シャル・オーバーカム」などを美しい声でヒットさせ大衆に広く伝えた、ただそれだけの人。クリエイティブな面ではキャロル・キングやジョニ・ミッチェルには遠く及ばない人物だと思っていた。大きな間違いだった。 彼女の声はどこまでも力強いものだった。無伴奏で歌う"Swing Low Sweet Chariot"で、白い息を吐きながら歌う様はゴジラが放射能を吹いているようでもあり、獅子の遠吠えのようでもある。細いきれいな声ではない。野太く力強い歌声なのだ。すごい歌手だ。 それにしてもこのコンサート、ジョーン・バエズの次にはザ・フーである。シャ・ナ・ナも出るはジャニスもジミヘンも・・・・今となっては、まさしく伝説のコンサートだ。このコンサートに参加した人々をうらやましく思う。「私はあのウッドストックに行ってたんだ。」そういえる人はヒーローである。私今までに行ったコンサートで人に誇れるコンサートは何だったんだろう。少しの間考え込んでしまった。 |
3月24日
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またも引き続いてウッドストックである。何しろ手持ちのDVDがこれ1枚しかないのだが、よくも飽きずに聴いているものだと思う。この時代(1970年前後)ほとんどのミュージシャンはマリファナやLSDに耽溺していた。今から見れば不健康な時代だった。この前クラプトンの評伝を読んだのだが、彼もあの時代は「触れたくない時代」として後悔しているらしい。でも、このウッドストックに出演している人々は、ジョーン・バエズさえも、クスリに依存してラリっていた時代なのである。本当にクスリはいけない物なのだろうか?当時クスリに浸っていた人は皆それが健康を害する物とは重々承知の上で使っていた。健康と引き替えに手にする物があったのだろう。音楽を始めとする芸術の神に魂を売った者たちは、文字通り身を削って至高の音を求めていたのだ。一概にクスリをいけない物とは決めつけられないと思う。 不健康な時代の音楽の方が、健康な時代の音楽よりも面白味があると思うのは私だけだろうか?ジャニス・ジョップリンやジミ・ヘンドリックスはクスリによって命を無くしてしまったのだが、彼らが毎朝ラジオ体操やジョギングをして健康に気を遣っていたとしたら、あの刹那的な音は出せなかったろう。自己責任で使うのであれば、せめてハッパくらいは解禁してもいいんじゃないかな、と思ってしまうのだ。健康的な芸術なんて聴きたくもない! |
3月25日
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"End Of The
World"というオーストリア映画をレンタルビデオで見た。米中核戦争で北半球が死滅し、放射能が徐々に南半球に押し寄せ、やがてオーストラリアも全滅し、地球上の全人類がジエンドという何とも救いのない映画だった。南極で生き延びるとか、宇宙へ飛び出すとか、ブルース・ウィルスのようなスーパーマンが現れるとか、荒唐無稽な救いの手がいつ出てくるんだろうと思ってみていたが、あっさりジエンドである。親子3人川の字になって自殺していく。印象的だったのは「神よ我々の死に意味をお与えください」というセリフだ。戦争の当事者たちが死んでいくのは致し方のないことかもしれない。しかし何の関係もない人たちがとばっちりを受けて滅んでいくのは無念だろう。地球を滅ぼすだけの核兵器がある以上あり得ない出来事でないだけに、やりきれない映画だ。 映画のできとしてはB級なのだろうが、今まで見た週末物の映画には何らかの形で救いの道が残されていた。それがこの映画には全くないのである。きれいさっぱり、全滅なのである。精神世界に救いを求めるほかはないのである。よくぞこんな映画を作ったものだと、感心してしまった。この映画、絶対にヒットはしなかったんだろうなぁ。 |
3月26日
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イマジンをしみじみと聴いた。 千葉での選挙結果に対する森総理の弁やら、バーミヤンの石仏群破壊やら、しばらくぶりにニュースを見ていたら腹の立つことばかりだった。政党も宗教もなんかおかしい。形無い物に大いなる意味を持たせようとしている。本末転倒。みんな共同幻想である。選挙に勝つための政治、偶像崇拝のための偶像破壊。文明は進歩しているのだろうか。隣の芝生には文句を付けて自分ちのことはおかまいなし。 やっぱり老後は、南の島でひなたぼっこが一番なのかもしれない。 |
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3月27日
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明日28日は、宇多田ヒカルのニューアルバムが発売されるという。彼女のファーストアルバムは発売からだいぶたってから手にした。あまりに反響が大きく社会現象にすらなってしまって、なぜか買いに行くのが気恥ずかしくなってしまっていたのだ。しかしアルバムをトータルで聴いてみての衝撃は大きかった。この小娘が音楽界を変えるかも、とまで思ってしまった。 『始めに声ありき』と思っている。私は歌を聴く前にその歌声で拒絶反応を起こしてしまう歌手がいる。浜崎あゆみがそれである。どうにも彼女の歌声は好きになれない。それに引き替え宇多田ヒカルの歌声にはぞっこんまいっている。「愛しさと切なさと心強さ」が歌声に凝縮されている。天性のものだと思った。 音楽を聴き始めてだいぶたつが、洋楽ではアルバムの発表をを心待ちにしていたアーチストはたくさんいたが、日本ではあまりいなかった。日本の場合、シングル作品が一人歩きしてしまい、アルバムとしての総合評価はあまりされていないのが現状である。今回彼女がどんな新境地を見せてくれるのか非常に楽しみである。 ちなみに私がここ数年に聴いた日本人アーチストのベストアルバムは、『SWEET19BLUES』/安室奈美恵、『Mother Father Brother Sister』/MISIA、『First Love』/宇多田ヒカルの3枚である。さて、宇多田さんは前作以上の驚きを味あわせてくれるのだろうか? |
3月28日
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時間がもっと欲しい!CD・本・VTR・・・たまってしまった。 今日はしこたま買い物をしてしまった。 CD;「Distance/宇多田ヒカル」前作の時とは大違いで店頭に山積みになっていたのでわけなく買えた。「LAYLA/Derek&The Dominos」2枚組のLPだったのが1枚になって\1800で出ていたので、懐かしさのあまり衝動買い。 本;「ミンガス自伝〜負け犬の下で」、「夢競馬奮戦記」、「馬上の風に吹かれて/田原成貴」、「チェーン・スモーキング/沢木耕太郎」、「ジャマイカン・ヴァイブレーション/システム・アイザクス」、「修五郎のウソつき!/井崎修五郎」、「その名はサラブレッド/井崎修五郎編」、「ジャズ小説/筒井康隆」、「夢見るころを過ぎれば/村上龍VS女子高生51人」、「ロングショットをもう一丁/岩川隆」「音楽の海岸/村上龍」〜みんな100円のハードカバー、古本屋にて。 レンタルビデオ;「ヴァイラスX」、「ザ・ディレクター<市民ケーン>の真実」 そして現在並行読書中の本;「戦慄のカルト集団」、「荒野へ」、「神々の指紋」、・・・・・・どうやって消化していくんだろう?部屋の中には本とCDが散乱してしまっている。最近は帰宅が23時。飯食って風呂入って一息つくと0時。キーボードをかちかちたたいてマウスをぐるぐるするともう1時。起床は6時。これで遅刻もしないで何とか仕事をこなしている。我ながらよく続くものだと感心している。さ、ビデオを1本見て寝よう。 |
3月29日
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雪に会ってしまった。天気予報で降るかもしれないとは知っていたのだが、なにもこんなに降らなくたって・・・・冬の最後のあがきといえ、恨めしい。タイヤはノーマルタイヤ。その上高速は通行止めになってしまうし、さんざんな一日だった。 車も通らぬ田舎の山道をずるずる滑りながら心細く走っていた時にラジオからZARDの「負けないで」が聞こえてきた。思わず一緒に歌ってしまっていた。図らずも元気が出てきてしまった。ZARDなんて毒にも薬にもならない一過性の音楽だと思っていたのだが、タイミングによってはとんでもない名曲なんだなぁと思ってしまった。「負けないで、もー少し・・・」と歌ってからが長かった。会社にたどり着いたのが23時。家に帰ってきたら1時を回っていた。さ、明日も早い。飯を食って寝よう。 |
3月30日
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つまらないビデオ「ヴァイラスX」を観てしまった。致死率50%の細菌が水道水に混じって町中に蔓延して・・・・というパニックもので、ダスティ・ホフマンの「アウトブレイク」のワクワクを再びって感じを期待して見始めたのだが、全く陳腐な駄作だった。市の水源池には黴菌がうようよしていて、それを浄水場で濾過して水道水として飲んでいたのだが、市長が予算を着服したために新浄水場の計画がポシャリ、濾過器を通過してしまう新種のウィルスが町中の水に混じってしまった。という内容なのだが、解決策としては浄水場での工夫ばかり。貯水池の汚染には触れずじまい。設定がすごくおかしいよ。いくら浄水場で濾過してるとしたって汚染された池を何とかする方が大事じゃないかな。アウトブレイクのエボラ出血熱の恐怖には遠く及ばない。アウトブレイクは原作(ノンフィクション)も読んだのだが、これが映画に勝るともの名著だった。やっぱりホンがしっかりしてる映画は違うね。 主演のオッチャンも植木屋の頭領の方が似合っているような人で、ダスティ・ホフマンと比べるのも可哀想なのだが、内容が同じ傾向なので観る方としてはどうしても二つの映画を比べてしまう。予告編を観たときには期待十分だったのだが、予告編にすべてのいいシーンが入ってしまっていた。どうも最近この手のだまされる映画が多い。やっぱりある程度金をかけて有名俳優を使い、原作がしっかりしていないとつまらない映画になってしまうのかなとも思う。 無い時間を割いて観たビデオだけに、すごく腹が立った。 |
3月31日
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運転免許の書き換え日が迫ってきた。一月前から書き換えができるのにいつもぎりぎりの最終日に更新するはめになってしまう。きっと今回も同じ。あと3日だ。 免許センターで交通安全ビデオを見せられるが、ずーっと昔、東京で更新の時に見せられたビデオは面白かった。ホリプロ全面協力ビデオで、主演が石川さゆり。他多数のタレントが出演していた。後にも先にもあのようなビデオは見たことがない。あのとき一回ぽっきりだ。おかげで車の陰に危険が潜むシーンで、若き石川さゆりがびっくり感心する様子などを今でも思い出せる。どうせ見せるのなら、面白い印象に残るビデオを見せてくれたら、いねむりもしないのにと思う。 日本全国で日記を書いている人たちのほとんどが今日はきっと同じ表現を使っているのだろう。「三月も終わり、四月になるというのに・・・・なんて寒さだ」春よ来い! |
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4月1日
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プロ野球のシーズンが始まってしまった。子供の頃から贔屓のチームってのを持ったことが無く、あんまりプロ野球には興味がなかった。ただし、好きな選手はいた。個人のキャラが強く有言実行の選手たちが好きだった。江夏と落合である。彼らがいない今は、全く興味がない。定時の番組が無くなったり、ビデオ予約の時間がずれたり、シーズンが始まったばかりだというのに、もううんざりしている。野球放送をするのは別にかまわない、ただ終了時間ははっきりして欲しいものだ。試合が早く終わろうが長引こうが、きちんと定時の時間を決めて終わって欲しい。「大食い番組」を見ようと野球が終わるまで裏番組のモーニング娘の特番を見ていたら眠ってしまって・・・・5時だ。あきれた。朝じゃん。 モーニング娘を見ていて思ったこと。ダンスマンが振り付けに参加した時、あるいは後藤真希が参加した時で明らかに形態が変わっている。「女の子のウジウジ抒情歌謡」から「エンターテイメントてんこ盛り学園祭風大騒ぎ」って感じである。福田あすか・阿倍なつみ中心だったのが今では後藤真希・加護亜衣がメインとなっている。個人的には今のような現実離れしたアンドロイド系馬鹿騒ぎ路線の方がずっと好きだ。ダンスマンの参加でつんくもかなり遊んでいる。彼がディスコでブイブイいわせていた頃のナンバーがモーニング娘の曲に見え隠れしていて楽しい。プロデューサーとしてのつんくと小室哲也を比較してみるのも楽しい。小室の音楽的上昇指向に対して、つんくは古き良き時代の懐メロ回帰ともとれる。つんく&モーニング娘からは、今しばらく目が離せない感じだ。 |
4月2日
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やっと骨っぽいビデオのお目にかかった。ザ・ディレクター[市民ケーン]の真実だ。ところが映画には全く無知なもので「市民ケーン」のいきさつやオーソン・ウェルズのことなんてほとんど知らなかった。新聞王ハースト(誘拐事件のパトリシア・ハーストは孫か曾孫なんだろうか)も全く知らず、予告編も見たことがなかった。そういった真っ白な状態で見たのが良かったのかもしれない。おかげで好奇心に火がついた。オーソン・ウェルズを知りたくなったし〜ラジオドラマの宇宙戦争騒動は知っていた〜戦時下の言論統制とメディアの力、ハリウッドにおけるユダヤ人の力など面白そうな問題がたくさん出てきた。近頃ハズレのビデオばかり見てきて、こういうのが見たかったんだ、と思わず言ってしまったほどなのだ。 HEY!HEY!HEY!でMAXを見た。相変わらず格好いいことこの上なし。んでも、レイナは歌の練習をさぼっていたな。かなり下手になってしまっている。お気に入りのリナはやっぱり妙な魅力でがんばっているのが微笑ましかった。 |
4月3日
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結局今回も免許の更新は誕生日当日になってしまった。1ヶ月前からできるのはわかっているのに、毎回毎回締め切り当日に滑り込みなのだ。まあ、これは性格だからしょうがない。 今回の更新で、安全協会の教官がじつに頭の悪いやつで引っかかることばかり言っていた。20代の私だったら必ずくってかかっていっただろう。それが今回は、彼も警官を退職してやっと得た職業についているんだ。いじめちゃ可哀想だ。とか、ここで波風を立てて終了時間を遅らせることはない。とか、ここで怒っちゃ大人げない。とか、いろいろ考えてしまってじっとしていた。これは、四十も半ばを迎えて大人になったんだろうか、それともその他大勢の顔のない人間になろうとしているのだろうか。いろいろ考えて講習を終えた。 おれは、まだまだ"Like A Rolling Stone"でいたいし、まだまだトンガリキッズの気持ちは失っていない・・・・・・・・・・・はずだ。 |
4月4日
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「アンダーグラウンド/村上春樹」を読み始めた。実はこれが春樹初体験なのである。前々から村上春樹は一度は読まなくてはと思っていたのだが、何故か踏み切れずにいたのだ。それが何故読むようになったのか?「アンダーグラウンド」が地下鉄サリン事件を取り扱った本だということを知ったからである。それも非小説。事件の被害者たちへのインタビューが中心の本である。1995年、阪神神戸大震災そして数々のオウム関連の事件、世は不景気の真っ最中。まさに終末感の漂う年だった。その中でも最もショッキングだった無差別大量殺人事件を現代日本のトップにいる作家がどのような切り口で評しているのかがすごく興味がある。 私が小学生の時に公明党が誕生した。幼心にもこの新しい政党の誕生は驚いた記憶がある。家の近所に創価学会の信者の家があった。朝夕御大明が聞こえてきていた。宗教に全く無関心な我が家では彼らを『拝み様』と呼んでいた。我が家だけでなく、私の暮らす田舎では熱心な信者たちをそう呼んでいたようである。少なからず軽蔑の意味も含んでいた。その『拝み様』たちが政党を作ったことに吃驚してしまったのである。そして二十歳を超えたときにイランでホメイニ師のイスラム革命が起こった。「宗教は麻薬だ」の共産党革命を読んでいた頃である。宗教で政府が転覆してしまう事実を目の当たりに見せられて「宗教」の力を考えさせられた。その後、高橋和己の「邪宗門」を読んでますます宗教に興味を持つようになってしまった。未だに「宗教」とは何なのかが判らない。そんなときに出会ったのがこの本なのだ。「アンダーグラウンド」がサリン事件を取り扱った本だと知っていたらもっと早くに読んだのだろうが、何しろ村上春樹=甘ったるいベストセラー作家と言うイメージ(読んでもいない「ノルウェーの森」の自分勝手なイメージ)を持っていたために、触れることがなかったのである。 村上春樹をこの著作から入っていく読者はきっと稀に違いない。それだけに彼の一般のファンとは、また違った角度で読めるのではないかと楽しみなのである。・・・・、それにしても分厚い本だ。 |
4月5日
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ついに桜がやってきた。今日の気温は16度にも上がり、一気に開花宣言が出された。 毎年この時期になると坂口安吾の「桜の森の満開の下」という小説のことを思い出す。満開の桜の下には死人がいっぱい眠っていて鬼が住み着いているという話だ。酔っぱらいも帰ってしまった深夜、満開の桜の木を見ると、確かに不気味な気持ちになることがある。暗闇に満開の桜だけが淡い蛍光塗料を塗ったように、ぼんやりと発光しているように見える。人工的に植樹された桜並木は論外だが、山桜の古木などを見ると安吾の言うことが案外本当のことのように思えてくる。深夜は鬼どもの宴の時なのかもしれない。 ATGで映画化されたことがあった。篠田正浩監督・岩下志麻、若山富三郎主演だった。新宿の地下の映画館で見たときは、すごい傑作だと思った。さんざん友達に言いふらし鑑賞を勧めた。その年の暮れにキネマ旬報の映画ベストテンが発表された。私にとっての本年度ベストワンであった「桜の森の満開の下」は、年間ワースト映画のベストワンにランクインしていた。このときキネ旬的映画評論とはオサラバしたのだった。音楽も映画も十人十色、様々な見方があり様々な評価がある。他人の言葉は気にしないつもりだったのだが、ワーストワンを見せられたときにはさすがにいい気持ちはしなかった。 週末には満開になるかもしれない。鬼を見つけに缶ビール片手に丑三つ時に一人花見をするつもりだ。 |
4月6日
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TVを見ていたらCMで井上陽水がタイガースの「花の首飾り」を歌っていた。彼はこの前も「コーヒールンバ」を歌っていたし、昔の名曲を自分なりの解釈で歌い始めたのだろうか?全曲カバーのアルバムを作らないのだろうか?陽水のように独自の声、歌い方の歌手が誰もが知っている昔の曲を歌うのにはとても興味がある。 Napatarで「コーヒールンバ」を検索してみると、日本人では西田佐知子、荻野目洋子、井上陽水の3人の曲が出てきた。早速それら3曲をDLして聴き比べてみると、かなり面白い気分を味わうことができた。JAZZでは一般にスタンダード曲と言われるものが多数有り、いろんなミュージシャンがそれぞれの解釈で演奏し腕を磨いている。昨年小柳ゆきが海外の曲ばかりを集めたカバー集を出したが、日本のミュージックシーンも今ではかなり熟成し、海外のそれと比べてみても決して遜色のないものになっている。日本のスタンダード曲ばかりを集めたアルバムが、そろそろ出てきても良いのではないだろうか?それによって忘れられた曲の良さも判ることもあるだろうし、日本のスタンダード曲ができあがっていくと思う。手始めに陽水がそのようなアルバムを出すとすれば、きっと私は迷わず買うことになると思う。 |
4月7日
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注文しておいたDVD(『モーニング娘/LIVE in
BUDOKAN』と『山口百恵/伝説から神話へ』)が台湾から届いた。書留送料込みで1枚\1600だ。何でこんなに安いんだろう?きっと××だからなんだろうけど細かいことは気にしないで、あるものを楽しむことにしている。 で、モー娘のライブにはたまげてしまった。意地悪なオジサンの目でアラ探しをしてやろうと見始めたのだが、彼女たちの表情の豊かさに参ってしまった。・・・というより、彼女たちは長いライブの間のビデオクルーの細かいカット割りを覚えているようなのだ。ステージ中央でソロを取っている者なら判るが、後ろの方で踊っている者の一瞬の表情を捉えたカメラにさえしっかり目線が合っているのである。彼女たちのステージングは決して大雑把なものではなかった。しっかりと細部にまで演出されており、それをモーニング娘はほぼ完璧に演じている。すっかり見直してしまった。きっと汗と涙に明け暮れた厳しい練習をこなしての結果なのだろう。モーニング娘は素人くさい女の子を集めた集団ではなかった。彼女たちは心底プロである。ただただたまげた。 さーて、今度は百恵ちゃんを見よう。いや、その前に明日の「桜花賞」の予想をしなくては。 |
4月8日
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相変わらずモー娘と百恵ちゃんをとっかえひっかえ見ていた。会場は同じ武道館、しかし百恵ちゃんのコンサートの時にはモー娘は、中沢裕子以外は生まれていなかったことを考えると不思議な気分になる。時折写る観客の姿を見ると時代を感じてしまう。ファッションはもとより、百恵ちゃんの時はみんな着席していたのがモー娘ではオールスタンディングだ。 今回モー娘のDVDを見て、すっかり飯田香織のご贔屓になってしまった。娘達の中で彼女の姿を探してみてみると非常に面白いのだ。まず異様なまでに表情が硬い。メンバーが皆自分の一番いい表情をしてカメラ目線を送っているのに、彼女だけは「心ここにあらず」ってな感じでうつろな目をしている。踊りも下半身はステップを踏んでいるのに上半身は棒立ち。左サイドから右サイドに大きくサイドチェンジする時なども、他のメンバーは中央のカメラに一度は微笑むのだが、彼女だけはひたすら一生懸命にダッシュしているのだ。「早く終わってうちに帰りたーい」ってな表情で終始ステージをこなしている。プロに徹して愛嬌を振りまいている他のメンバーから一人浮き上がっている姿を探し出すのはとても楽しかった。 百恵ちゃんのあの貫禄は何だったのだろうか?たかだか21歳の小娘に出せるものではない。ヤクザ映画によく出てくる「貫目」とか「度量」とかの言葉を思ってしまう。生きながら神話になってしまうのも判る気がする。やはり不世出の大歌手なんだと、一人納得してしまった。 |
4月9日
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TVを見ていたらCM(ファイブ・ミニのCM)でなにやら耳慣れた歌が流れてきた。この歌なんだっけ、と3秒ほど考えた。「17才」だった。かなりソウルフルに歌っている。いったい誰が歌っているのだろう? オリジナルは南沙織。その後森高千里がカバーして十数年ぶりに再度注目を浴びた名曲だ。森高ヴァージョンはオリジナルのアイドル性を強調していたが、今日聞いたのは全く別な解釈だった。これを読んだ方で歌っている歌手をご存じの方がいれば、教えてください。 それにしても陽水の「花の首飾り」といい、業界は過去の名曲の掘り起こし、カバーヴァージョンに向かっているのだろうか?いつかどこかで聞いた記憶のある歌を別の歌手に歌わせて視聴者の興味と好奇心をくすぐる、なかなかいい手だと思う。もっともっとこの傾向が進めばよいのだがと思った。 |
4月10日
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「アンダーグラウンド/村上春樹」を読んでいる・・・・のだが、ちょっと息詰まっている。 私がこの本を読み始めた動機は、前にも書いたが、その内容が地下鉄サリン事件だったからである。だから読み方としてはルポルタージュ・ドキュメンタリーとして読み始めた。この本を書くに至ったいきさつを村上氏は書いているのだが、どうにも彼の立場がはっきり判らない。 この本は事件の被害者のインタビューという形で書かれているのだが、インタビューしたテープを文章に起こし文章にした後、その文章を当事者に目を通してもらい加筆訂正をして当事者の了解を得てから発表している、と書いている。事件の性格上まだ後遺症に苦しむ被害者達もいて慎重になるのは十分判るのだが、あまりに自分をいい子ちゃんにしてしまってるのではないかという疑問を感じてしまった。極端に言えばインタビューされた文章は皆同じで、村上氏個人の考えというものが見えてこないのだ。この事件はどうひっくり返しても犯人=悪者はオウム教団で、被害者は偶然その場所にいた善意の人たちなのである。そのことは今更書かなくても皆承知している。そのことを踏まえた上で村上氏がこの事件をどう捉えているのかが知りたかったのだが、氏の言葉は「早く元気になって欲しい」の連続なのである。かなり期待を裏切られたというのが私の本音だ。 他のマスコミとは違う立場で・・・と村上氏は書いているが、確かに土足で他人の家に上がり込むマスコミは事件の当事者と周囲の人たちには我慢ならなかったのは良く判る、しかし筆者の言葉で伝えるには嫌がられる取材も必要なのではないだろうか。 「インタビューされた文章がインタビューイーによって訂正・削除されインタビューイーが許可した文章だけを発表した。」この姿勢が気に掛かってしょうがないのだ。検閲された文章だと思うと読む気も失せてくる。 この本を私とは違った動機で、村上春樹の著作だから、といって読んだ人たちはどんな感じでこの本を読んだのだろうか。どんな感想を持ったのだろうか。 もうしばらく読み続けてみるつもりだ。 |
4月11日
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23時過ぎに帰ってきて冷めた塩ジャケを食べながら新聞を読んでいたらおかしな記事にぶつかった。私の住んでいるK町の話である。町の中心を流れるH川に鮭の稚魚を放流したというのだ。『H川に鮭を戻す会』が小学生と一緒に放流したらしい。「シャケを戻す〜?」私が子供の頃のH川には、オイカワやウナギはいたけれど鮭がいたという話は初耳だった。それも教育の一環としての稚魚放流とのことである。ちょっと待ってよ、これって動物虐待を教えてるんじゃないの、とまで思ってしまった。 H川は太平洋に注ぐ阿武隈川の支流である。阿武隈川はウスバカゲロウの発生で有名になるほど汚れている。H川の源流は我が町にあり30kmほど流れて阿武隈川と合流する。その30kmが問題なのである。河川工事をやっていないところを見たことがないのだ。いつもどこかにブルドーザーが川の中に入って工事をしている。ほとんどがコンクリートの護岸である。三面コンクリートのところもある。その上水深は30cmくらいしかない。オイカワも昔と比べてずっと下流にまで下がらなければ釣れなくなっている。その数も昔は2時間もやれば5〜60匹釣れたのが今は夢のような状態なのである。そんな川に稚魚を放して何時間活きながられるのだろうか。「大きくなって戻ってきてね」と信じている子供達が哀れだ。ほんとのことを教えてやらなければいけないと思う。順序立てて教えてやらなければならないと思う。せめてオイカワが泳ぐ川になってからやってもらいたいと思う。 毎年魚の住める川にしようとかいって鯉は放流しているらしい。おかげで時々赤や黒の鯉は時々見るのだが・・・・、色の付いた鯉と鮭が一緒に泳ぐ川なんて聞いたことも見たこともない。 |
4月12日
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自分のことを懲りない奴とだ思う。インターネット・エクスプローラーの新ヴァージョンがβ版で公開されていたので早速入れてみた。1時間もかけてダウンロードしたというのに、調子悪いことこの上なし。原因ははっきりしている。元のIE5.5に組み込んでいたソフト(ReGet、Google、お気に入り管理ソフト)がIE6.0に対応していないのだ。中でもReGetが問題児らしい。エラー報告の連続だった。IE5.0から5.5にヴァージョンアップしたときも同じことをしていたのに、また同じことを繰り返している。周辺のソフトが新ヴァージョンに対応してからアップしようと前回学んだはずなのに、全く学習能力に欠ける奴である。6.0の寿命は2時間くらいだったろうか、今はもう前のヴァージョンに戻っている。 『β版』とか『海賊版』というのにからきし弱いのである。秘密めいたもの、試作品とかがあるとまず試してみたくなってしまう。しょーがない性格だ。でも、そういう性格がなかなか好きだったりもするから困ったものだ。 ちょっとだけ使ったIE6.0の印象は、またよけいな機能を付けて巨大なソフトになったなって感じだ。マイクロソフトのソフトは新ヴァージョンの度にでかいソフトになっていく。とか不満を言いながらも正式版が発表されれば、真っ先に入れてしまうと思う。ま、こーゆー性格なんだからしょうがないとあきらめている。 |
4月13日
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昨日「海賊版が好き」とか書いたからでもないと思うのだが、Bob
Dylan日本公演のブートレッグを買いませんか、というメールが来た。DAT録音でCD-Rに焼いてあるそうだ。Dylanの仙台公演の後、興奮したあまり勢いで「ボブ・ディランの追いかけ方」の掲示板に書き込みをしたときのメールアドレスからたどってきたのだと思う。ディランの海賊版は昔西新宿のレコード屋さんからずいぶん買ったものだった。中にはカセットで取ったような音質が最悪のモノもあったが、ザ・バンドとの競演の豚レーベルなんかは割といい音質で満足のいくモノだった。 それにしてもあの厳重な警戒の中、DAT録音機を持ち込むなんて、蛇の道は蛇というか、よーやるなって感じである。隠しマイクを構えて、息を殺してコンサートを録音するなんて芸当は私にはできない。その点は彼らはエライと思う。 そのブートだが、正直言って自分の行ったライブの音源を手元に置きたいという気持ちは大ありである。またディラン大先生には大変申し訳ないのだが、著作権に対するモラルや倫理観と言ったモノには気を掛けない方である。「くれる物はもらってしまえ。欲しい物はモノにしたい」というビートルズ精神なのである。ただあの夜のコンサートは今更冷静に客観的に聴きたくないのである。乙女ちっくな想いなのだが、良い思い出として大切にしておきたいのである。いつまでも美化しておきたいのである。だから丁重にお断りしてしまった。 |
4月14日
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仕事中典型的な今どきの少女と話す機会があった。何を持って典型的なと定義付けするか、話の頭に必ず「てゆーかー」を付けるのである。この「てゆーかー」という言葉はかなり面白い流行だと思う。話し相手の言動をまず否定し、自分の主張を展開するのである。ただ惜しむらくは、少女達はまだこの言葉の大切さを自覚していない。今のところ、ただの巻頭句として使っているのに過ぎない。しかし実際話をしてみると、「てゆーかー」を多用しながらも結構自分の意見を持っているのである。 「てゆーかー」を自在に使い、他人を否定し自己主張に目覚めれば、今どきの子供達もなかなかバカにできなくなってくる。今どきの子供達よ、早く追いついてこい、と思ってしまったオジサンだった。 |
4月15日
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あきれるほど眠ってばかりいた1日だった。TVを見て飯食って眠っての連続だった。今日一番面白かったTVは「ZONE」〜読売ヴェルディの3選手(武田・小倉・前園)の近況〜だった。前園曰く「自分よりも下手な選手がピッチに立っているのが不思議」なのだそうだ。 確かに何年か前はA代表は前園のチームだった。それが今は中田のチームであり、俊輔のチームであるときもある。私もゾノはいつまでくすぶっているのか不思議に思うこともあった。ところがこの男、ブラジルに行って自分がヘタになって帰ってきてしまったことにまだ気づいていないらしい。というよりも、海外に行っていた間に周りの選手がレベルアップしていることを認めたがらないのかも知れない。たとえばある試合で自分がドリブルでセンターを上がっていき右サイドにパスを出す時があった右サイドを猛烈なスピードで上がっていった選手は低いスピードあるパスが前方にくることをイメージしていた、ところが出されたパスは山なりのパスであった。当然右サイドの選手はスピードを落とし立ち止まらなければならなくなってしまう。全てがこの調子なのである。それとフィジカル面の弱さである。バタバタ倒される。これでは前半途中で交代させられるのも仕方がないと思った。 私はゾノやナカタのように自信にあふれた強烈な個性を持つプレイヤーが好きだ。ゾノがA代表に戻ってきてMFの位置に居座ればナカタももっと前でプレーができより攻撃的なチームになると思うのだが、今の前園を見ていると歯がゆくてならない。彼が自分のレベルダウンと周りのレベルアップを自覚してくれることを願っている。 だいたい武田と小倉にもいえることだが、試合が終わって窓際族の三人で飯を食っているのが問題なのだ。しっかりしてくれよ! |
4月16日
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朝から快晴。文字通り雲一つない青空が広がっていた。新聞を見ると三春の滝桜が満開とのこと。できるうちの親孝行と思い、母親を連れて見物に行って来た。 近くにあるというのに行ってみるのは初めてだった。三つの春が一度にやって来るという三春(梅、桃、桜が一緒に咲くそうだ)の滝桜は樹齢1000年以上の古木のしだれ桜だ。平日だというのにかなりの人出。観光バスと他県ナンバーの車が目立った。一大観光スポットである。駐車場から人の群と一緒に歩く。おでん屋、たこ焼き屋、絵はがき屋、苗木屋などの出店が客寄せを競っている。演歌が大音量で聞こえてくる。地元出身の歌手のコンサートまでやっているらしい。帰りたくなってきた。 坂を上りきると展望が開けた。目の前におどろおどろしいまでの桜が現れた。迫力に圧倒されてしまう。周囲の喧噪も全く気にならなくなり、ただ見上げてしまった。 樹齢1000年というが同じ1000年を越えた古都の建造物を見るのとは違った迫力がある。大げさかも知れないが、知性というか人格を感じてしまった。今現在、同じ地球に生きているという一体感なのかも知れない。一瞬にわかエコロジストになってしまった。卑屈になってしまった。釈迦の掌をあえぎ回る孫悟空の心境だった。 と言うわけで、かなり興奮と感動に満ちた一日だった。バカチョンデジカメで取った画像を載せておきました。安いデジカメらしいチンケな写りですが、興味のある方はご覧ください。 <滝桜を見る> |
4月17日
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「荒野へ」をようやく読了。ヒッチハイクで国内をさまよったあげくアラスカで餓死した青年のノンフィクションだったのだが、なかなか面白く読めた。この本は作者のJ.クラカワーが最初雑誌に発表したところ反響が大きくて、その後追加取材を繰り返し単行本にした物である。 最初の発表の時にアメリカ中からいろんな感想が寄せられたらしいのだが、一番多かったのが「あまりに自然を甘く見ているバカヤローだ。死んで当然かも知れない。」という意見だったらしい。いかにもアメリカ的であると思った。これが日本だったらと考えると、もしそういう反響が多かったとしても決して表沙汰にはしないのではないだろうか。この青年は何年もヒッチハイクで国内を回り、カルフォルニアのバハでは小口径のライフルと釣り竿で3ヶ月自給自足の生活をしたという経験があったから、アラスカに挑んだのだが、あまりに自然は厳しすぎた。数マイル歩けば山小屋などがあり助けを求められたのだが、彼は地図も持たなかったためにその存在も知らなかったらしい。何よりも彼は地図に載っていない空白の地を求めていた。しかし現代には地図上に空白の部分はもうどこにもない。そこで彼は自ら地図を捨てて空白の地を作ってしまったのだ。 作者は青年の行動を否定も肯定もせず、淡々と事実を掘り起こしていく。全ての評価は読者にゆだねている。本を読み終わり表紙を閉じた後で、しばし考え込むような本が好きだ。 てめぇのケツはてめぇで拭け。葉っぱで後始末ができない奴は野糞をするな。こんなことを考えた。銃社会を肯定しているアメリカは嫌いだが、人に迷惑さえ掛けなければ、自分で責任がとれるのならば、何をやっても自由だ。というアメリカ社会はうらやましくさえ思ってしまう。 |
4月18日
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SAEKOの”上を向いて歩こう”を検索していて面白いHPにブチ当たった。『少年トッパ』である。こういうことがあるからINは面白い。 作者のトッパさんも好奇心旺盛な方である。隅々までページを読んでみると音楽と本の傾向が自分と似ている面があるのでうれしくなってしまう。カバーレコードの研究はなかなか面白く読めた。知らない曲がたくさん出てきたのでこちらの好奇心もたちまち触発されて元気になってしまう。テキスト主体のとってもすっきりとしたHPである。こういうページを作りたいなぁ、と思ったところで今夜は睡魔にノックアウトされることにする。 |
4月19日
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あっ、題名をもう忘れてしまった。さっき返してきたばっかりなのに・・・最近物忘れ(物覚えかも知れない)が激しい。とにかくデニス・ホッパーの怖いビデオを見た。 デニス・ホッパーと言えば「イージー・ライダー」、あの映画を見たのは中学生の時だった。ピーター・フォンダ演じるキャプテン・アメリカにいかれてしまった。何しろかっこよかった。男が見ても惚れ惚れしてしまった。ところがあまりにかっこよかった為に周りの女の子がみんなピーター・フォンダファンになってしまった。そこでへそ曲がりの私は一転してジャック・ニコルソン派に宗旨替えしたのだった。両肘を張って「ニックニックニック」、あの仕草にあこがれた。 あの映画の3人(デニス・ホッパー、ジャック・ニコルソン、ピーター・フォンダ)は何年たっても気になってしまうのは何故だろう。ビデオのレンタル屋に行って彼らの名前を見るとついつい借りてきてしまう。3人3様にいい年の取り方をしていると思う。いい男を演じりゃピーターだし、ちょっと弱い心の男ならデニス、そしてキチガイを演じりゃジャック・ニコルソン。久しぶりに「カッコーの巣の上で」を見てみたくなった。 イージーライダーを見てから、一攫千金を当てて無計画な旅に出ることにあこがれ続けている。それは今でも続いている。いつかきっと・・・・、という気持ちだ。晴れてその日が来た暁には、腕時計はもちろん投げ捨てる。このシーンはいつか自演したいものだ。遠い昔に素直な気持ちで見た映画を、今見直すのも良いかも知れない。 |
4月20日
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sayokoのCD"mi luv dem"を思いがけずレンタル屋で見つけた。これはDJ-GABUさんの番組で「上を向いて歩こう」を聴いて以来なんとか手にしたいと思っていたアルバムである。sayokoが単身ジャマイカに渡って作ったアルバムらしい。それで納得。強力なリズムセクションはスライ&ロビーだった。ごきげんなコンパスポイント・サウンドだ。sayokoは女の子バンドでそこそこ成功したゼルダの高橋佐代子だったとは知らなかった。格好いいことこの上なし。リズムが締まると歌が踊り出す感じ、おすすめの一枚です。 「上を向いて歩こう」は内外でいろんなリメイクが出されているが、私が一番のお気に入りなのが、フライング・キッズがイカ天の特番でやったやつなのだが、これは秘蔵のビデオで楽しむ他はなく極めて残念である。ブルーステイストたっぷりの浜崎節が炸裂しているのだ。 ファイブミニのCMの「17才」の歌手がやっと判明した。勝野慎子(カツノシンコ)という女性である。Webでいろいろ調べてみたらなかなか面白そうな歌手であるのが判った。 尊敬する人:両親とジャン・コクトー 見分け方:6個のピアスと2つのTATTOO 好きなアーティスト:カーティス・メイフィールド、スライ&ファミリーストーン、アイザック・ヘイズ、パーラメント 趣味:画像加工、落書き、ゲーム 特技:タイトルを言えばファミコン・カセットの色を答える。 嫌いな物:椎茸、他濃い物全般。 得意な料理:親子丼 作曲に使う道具:PowerMac 8500/150(studio version pro),KORG 01/WFD,Proteus2000 初めて買ったレコード:中森明菜のセカンド・ラブ 最近好きな映画:1930年代のブルーフィルム集 住んでみたいところ:おいしい物が食べれる所 行ってみたいところ:マチュピチュ 自分の部屋は:場末のキャバレーの更衣室 気になるアーティスト:benzo(本当にファン)、古いけどジャンゴ・ラインハルト ↑ こんな女性です。カーティス・メイフィールド、スライ&ファミリーストーン、ジャンゴ・ラインハルトが出てきて吃驚すると共にますます興味がわいてきました。南沙織は真っ白なパンツのような「17才」、森高千里はフリル付きのパンチラ「17才」、そして彼女は・・・・な「17才」。 彼女は自分でHP(Lunsalon)も開設しています。 今日はなかなか興味深い女性達に巡り会えてうれしい1日だった。 |
4月21日
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このページを見てくれる方からメールをいただいた。私は音楽などの評価の中で『面白い』という表現を頻繁に使っているが、もっと具体的に表して欲しいというものだった。ごもっともである。自分の貧しい語彙のために誤解を招くことも多々あるのかも知れないと思った。 良い機会だから私なりの『面白い』の定義をはっきりさせておきたいと思う。本にしろ音楽や映画にしろ、私の拙い知識では良い悪いでは決めつけられない。私の中では『面白い』か『つまらない』かだけなのである。面白いものとは、そこから連想や興味が広がっていくもの。つまらないものとは、その瞬間で完結してしまうもの。そう思っている。例えば昨日のカツノシンコの場合だと、TVCMで「17才」を聴いた→今まで聞いたことのない「17才」、黒っぽい「17才」→誰が歌ってるんだ→カツノシンコを知る→カーティス・メイフィールド、スライ&ファミリーストーン、1930年代のブルーフィルム集が好き→どんな歌を歌ってるんだ?→試聴してみる→CD屋で探す・・・・、と言うようにどんどん興味が広がっていくきっかけを作ってくれる音楽は『面白い音楽』なのです。ちなみに今日は彼女のCDは見つけられませんでした。 昨日レンタル屋で見つけたsayokoのCDはリミックスものでした。今日Book-Offでオリジナルを見つけました。バンドを解散した後、単身ジャマイカに渡って当時の世界ナンバーワンリズムセクションであったスライ&ロビーとCDを作ってしまった彼女にはすごく興味が沸いてきてしまいます。彼女の在籍していたゼルダは名前は知っていましたが、全く無知な分野です。確かプリプリとショーヤの中間と言った印象しかありません。今夜はこれから彼女について検索するつもりです。 |
4月22日
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前に\500で買っておいたVTR「アルジャーノンに花束を」を見た。ダニエル・キイスの原作は読んでいたのであらすじはあらかた判っていただけに、後半の部分はいたたまれなくなってしまった。自分の未来よりも一歩先を進んでいるネズミのアルジャーノンを見れば、自分の明日の姿が想像できてしまう・・・・ある意味ではスティーブン・キングの「デッド・ゾーン」のような、未来が見える男の悲劇といってもいいかも知れない。原作の方は正直言ってあまりに分厚く途中だらけてしまうこともあったのだが、100分ちょっとにまとめられた映画の方が面白く観られたような気がする。原作よりも成功した映画の一つかも知れない。ダニエル・キイスの本も「5番目のサリー」「24人のビリー・ミリガン」共に持っているのだが、なかなか読み出すきっかけがつかめないでいる。わりと興味のあるジャンルだけに、GWにでも読んでみようと思っている。 『風通信 第2号』を作ってみた。メーラーのBCCを使えば発行システムの力を借りなくても私的なMMが作れるな、と思ったことから始めてみたのだが、思うと作るとじゃ大違い。でも、プレッシャーを感じることなく気ままなペースで続けてみたいと思っている。 |
4月23日
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ふと昔の音を聞きたくなってEtta JamesとAretha
Franklinのライヴ盤を聴いている。最近日本の新しい歌姫たちの歌ばかりを聴いていたので、かなり新鮮である。音は悪いしバックの編成もいたってシンプル。しかしライブのドライブ感は引けを取らない。というより、ライブでの歌唱は遙かに上である。私は「昔は良かった」などとは口が裂けても言いたくないが、この差は何なんだろうと考え込んでしまった。 今の歌手たちと昔の歌手たちとではまず仕事の質が違うと言うことだろう。今の歌手たちがレコーディングやPV・TVの仕事の方に比重を置いているのと比べて、昔の歌手はライブ公演が仕事の中心。毎日の仕事が鍛錬の場であった。厳しい仕事の連続の中で毎日成長していった。今の歌手たちはヴォイストレーニングや素人時代のカラオケなどで、デビューするときにはそこそこの歌唱力を身につけているが、そこからの成長がイマイチな感じがするのである。だからデビュー作をなかなか超えられない情けない事態になってしまっている歌手もたくさんいる。デビューしたときがピークになってしまっているのだ。 それにしてもアレサ・フランクリンの"Respect"はすごい。歌でリズムを喚起している。「のってるかーい!」なんて叫ばなくとも、観客は興奮のるつぼ。歌でバックをあおり、バックのリズムが歌手を盛り上げ、これぞライブの醍醐味って感じだ。アレサを聴いた後ではMISIAも小柳ゆきも、てんで薄っぺらく聞こえてしまう。アレサ・フランクリンはやっぱり(今でも)女王である。アレサ万歳。私はきっと一生あなたに付いていくことでしょう。 |
4月24日
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DVDで「ウイットネス・プロテクション」を観た。アメリカの証人保護プログラムの話である。裁判で証言をさせる代わりに社会保障番号や名前を変えて、暗殺者から逃れるってヤツである。俳優の演技や監督の演出なんかはさておいて、映画が終わってからの話の方が気になって仕方がなかった。追いつめられた主人公が家族の葛藤を経てやがては家族一丸となって無一文から始まる新しい生活に向かって歩み出すまで、というのがこの映画のかいつまんだ内容なのだが、私はその家族のその後のことの方が気になって仕方がなかったのだ。アメリカでは証人保護プログラムによって新しい人物になって成功する確率は、半分半分らしい。社会の陰の部分で富を築いてきた人が、全くの気質の一市民になるのは大変なことらしい。この映画はあえてそのことには触れずに、家族の連帯感を中心に進められるのだが、ゲートを出てからの彼らはどうなったのだろう。つつましくも平和な家庭を築けたのか、それとも「裏切り者は消せ」の掟どおり一家丸ごと惨殺の悲しい結末を迎えるのか、はたまた新しい土地でまたも裏社会で成功するのか・・・・、いろんな未来があると思う。 私としては、暖かい家族愛の映画よりも、その後の家族の方が見てみたかった。 |
4月25日
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本日発売!早速MISIAのNewアルバム「marvelous」を買ってきた。私にとってMISIAは今のところ日本で一番の贔屓歌手だ。そのことを抜きにしてもいいアルバムだ。しばらくこのアルバムを聞き続ける日々が続きそうな気がする。 まず感動のジャケット。なんてドラマチックなのだろう。朝焼けの空をバックにプラテノドンにぶら下がって下界を見下ろすMISIA。下界はビル群と森と滝に浸食された大地である。中ジャケにはやはり朝焼けの空をバックに仁王立ちのMISIA。ジャンヌ・ダルクを連想してしまう。コンセプトは「再生と希望」ってとこだろうか。MISIAのアルバムでなくても、思わずジャケ買いをしてしまいたくなるほどのいい感じなのである。今なら初回プレスの特典として三つ折りのちょっと大きいジャケットなので、これが売り切れてしまう前に是非手に入れておきましょう。 細かいことは追々書くと思うので、今夜はまず概論。このアルバムの一番の特徴はプロデュースがMISIA自身だと言うことだろう。今までのアルバムではco-produced by MISIAとクレジットされていたが、今回はついにProduced by MISIAである。詩も1曲をのぞいて全部が彼女自身の作である。TDCとの競演を含めて彼女がやりたいこと歌いたいことを彼女自身の手で表現し始めたのである。小室哲也、つんくを始めとしてプロデューサーに新たな展開を期待する時代に、あえて自らのセルフプロデュース作品である。彼女が確実に成長していてうれしくなった。 業界では彼女や宇多田ヒカルは「R&B」というおかしなカテゴリーの代表のように言われているが、「変なジャンル分けはしないでよ!」と言うように、ポップはポップにバラードはバラードに、そして日本語は日本語らしくしっかりと歌っている。歌うことを武器に音楽界に牙をむき出したMISIAからは目が離せない。歌で壊して歌で再生。MISIAは大和撫子のジャンヌ・ダルクだ。 |
4月26日
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寝る前にちょっとVTRを見よう、どーせ途中で眠ってしまって朝には巻き戻されてるさと「レッドストーム」(Flames
of
Death)を見ながら床に入ったのが1時ちょっと過ぎだった。ところがこのVTRがなかなか面白いのだ。結局最後まで見てしまい眠ったのは3時過ぎ、3時間の睡眠ではきつい一日だった。 このVTRどこが面白いのかと聴かれても、困ってしまうくらいの普通の(もしかしたら普通以下の)映画なのだが、チェコスロバキア製の映画なのだ。東欧の映画というとパルチザン関係の深刻な映画しか見たことがなかったのだが、これは生粋のエンターテイメント映画だった。最もこのVTRをレンタルしてきた時には、アメリカハリウッド映画だと思ってたのだから、いいかげんなものである。 何の変哲もない美術館連続爆破事件の犯人探しの映画で、それも細かいところでは「そんなはずはないだろー」と思ってしまうほどいい加減な映画なのだが、つい引き込まれてしまった。何故なのだろうと今日になって考えてみたら、主人公のオネーチャンの魅力に睡魔が負けてしまったという結論が出た。ジプシーっぽい顔のナイスバディのオネーチャンのせいで今日一日眠くってしかたがなかったのかと考えると、うれしくなってくるから不思議だ。火曜サスペンス劇場のようなB級アメリカ映画を見るよりは、ずっと面白かった。映画なんて、俳優の存在感と制作スタッフの本気さで面白さが決まってしまうような気がする。 台湾からDVDが届いた。MISIAの武道館ライブと小柳ゆきのビデオクリップ集だ。なかでも小柳ゆきのはカバー集の曲がたくさん入っているので面白そうである。連休にでもゆっくり見ることにしようと思っている。 |
4月27日
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連休前の忙しい日が続く。フラフラになって家に帰って来て飯を食いながらTVを見る。「お願いモーニング」深夜番組にまでモー娘が進出しているとは思わなかった。昔はアイドル番組が結構あったように思う。東京12チャンネルなどはお得意って感じだった。「ハーイ、アグネス」「ハロー・ピンク・レディ」などは東京で一人暮らしをしているときに、やはり飯を食いながらよく見ていた。この手の番組はマジになって見るよりも『ながら鑑賞』がよい。モー娘のなっちの笑顔を見ながら食う塩ジャケは一段としょっぱかった。今はアイドル番組は不毛の時代なのだろうか。ジャニーズ系の番組の他には、この「お願いモーニング」と「パパパパパフィー」くらいしか知らない。アイドルじゃ視聴率が取れないのだろうか。アイドルがいないのだろうか。 チャンネルを変えてみたら「朝まで生テレビ」が始まった。へー、この番組まだやってたんだ。という印象である。この番組は死んだ父親が好きでよく見ていた物だった。放送コードで規制された枠の中で好き放題しゃべっているようだが、枠からはみ出た意見は出てこない。と親父に意見したときもあったのを思い出した。睡眠薬代わりにTVを見ながら寝るとしよう。それにしても、騒々しい番組だ。 |
4月28日
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明日の天皇賞のことを考えていると期せずして競馬友達二人から電話が掛かってきた。レースの前日に自分なりの予想とうんちくをひけらかすのが競馬ファンとしては週末の何よりの楽しみなのである。図らずも三人とも同じ予想であった。ある一頭の馬からの総流しなのだ。競馬新聞ではほとんど無印の馬である。いつもならば自分と同じ予想を聴かされると、互いに嫌がりどちらかが予想を変更するのだが、今回ばかりは「うーむ、おまえもか」と納得し、何故かうれしくなってしまった。その馬(セイウンスカイ)は明日が1年半ぶりのレースである。一緒に厳しい戦いをしてきた同世代の馬たちは皆引退をしている。彼らの世代は強い世代だった。それを覚えている分、今をときめく馬たちが「最強馬」などと呼ばれると何故かしっくりこないのである。ほとんど勝ち目のない戦いになりそうなのだが、今どきの若馬に一泡吹かせてくれよと、ほとんど希望のような予想なのだ。 ギャンブルというとどうしても世知辛い印象を持たれるが、損得を抜きにしたこんなレースもあるのだ。しかし、まかり間違ってその馬で予想が当たったりすると・・・・、莫大な金が・・・・・・、やっぱり損得抜きにとは言い難い。 |
4月29日
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近所の幼なじみがPCを買ったとのことで、ここのところ連日私はPC教室の講師気取りである。彼がPCを手にしようとしたきっかけがすごい。エッチなページを見たい。この一心だけである。最も私のきっかけだって似たようなもの、競馬の的中率を上げたい。この気持ちだけだった。きっかけは何にせよ、目的がはっきりしていると上達は早い。 Q2や国際電話に引っかからないサイト巡回の仕方、おいしい画像のダウンロードの仕方、集めた画像の保存と鑑賞の仕方。人に教えてみて始めて判ったが、このジャンルに対する私の知識は相当なのもであった。誇って良いのやら、気恥ずかしく思うやら、ちょっと複雑な心境なのだ。いやなことを努力してやっても決して身には付かない。好きなことを楽しんでやってこそ身になり肉となるのだ。そしてそれをきっかけとして、また違った世界に興味が沸いてくればそれでよいと思う。好きこそものの上手なれ、昔の人はよく言ったものだ。まさしくその通りだと思う。「そうでーす。私エッチなページ大好きでーす!アヤシイことも大好きでーす!」と開き直っている。 |
4月30日
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昨夜やったアヤシイこと。近所の幼なじみのノートPCからアヤシイ画像(約400MB)をセッセセッセとフロッピーディスクで私のPCにコピーした。CD-R/RWのありがたさをつくづく思った。彼のPCにはCD-R/RWが付いて無く私のをSCSIで繋ごうにもカードがないのだ。2時間もやっていただろうか、案の定挫折した。彼は有料サイトで莫大な金を払ってそれらを入手してしまったのである。「やっぱ有料だとえーもんありまんなー」って感じ。その間ずーっとINに繋ぎっぱなしで「ウィルスバスター2001」をダウンロードしていた27MBあまりのソフトなのだが、DLには1時間半もかかってしまった。田舎に高速回線が導入されるのは何時になるのだろうか?最近HPを見ていてもフラッシュなどを使ったページが多くなってきている。私は表示するまでの時間が待てずにあきらめてしまうことが多い。音楽のネット配信にしたってシングル1曲DLするのに56Kのダイヤル回線では15分以上もかかってしまう。ちっとも実用的じゃない。早いとこ何とかして欲しいものだ。 とあるところからIBM・HPビルダーV6を入手できたので早速インストールして使っている。私はビルダー2000を使っていたのだが、べつだん画期的な機能は付いていないようだ。サンプルの数がめっぽう多くなって巨大なソフトになってしまっている。変わったことをやりさえしなければ使い慣れた2000の方が良かった感じである。ま、何にしてもHTMLの知識がない人でもこうやってHPが作れるのだからありがたいことである。 VTRで「ホワイトフォール」という映画を見た。森の中に謎の殺人者(モノノケ)がいて校外学習に来ていたムチムチプリプリの高校生達が次々と殺されていく、というホラー映画。のはずだったのだが、予告編とは大違いの奥の深い映画で吃驚してしまった。毎夜怖い夢を見るのでカウンセリングを受けている女子高生が主人公なのだが、森の中で同級生が次々に殺されていく風景は、ネタをばらせば、みんな彼女の想像の世界。子供時代に心に傷を負った原因にさかのぼる催眠療法中の想像の産物だったのだ。想像世界と現実世界の間で物語は進行し、境目があやふやになっていく。正直言ってかなり前衛的なアタリの作品であった。期待していた映画には裏切られ、暇つぶしになればと思っていた作品には驚かせられたり、めくらめっぽうビデオを借りてくるのも面白いときがある。 |
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5月1日
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昨夜見た「ホワイトフォール」でちょっと考えた。あのVTRの予告編も見たのだが、全くのホラー映画の予告だった。それなのに中身はホラー仕立てとはいえ、主人公の女子高生の心の傷を探る心理映画。予告編を違った形で作ったのならば、もっと多くの視聴者が得られるのではないだろうか。映画を作るのには莫大な金が掛かる。監督が心理映画の企画を作っても会社は売れる映画を作らなければならない。そこでホラー仕立ての映画で妥協したというプロデューサー苦肉の策だったのに違いない。 「エクソシスト」もホラー映画として大ヒットしたが、視点を変えてみるとかなり深い心理映画である。リンダ・ブレア演じる少女のエグイ映像ばかりが話題になったが、主人公を悪魔払いをするカラス神父として見てみると、彼と発狂した母親との心の葛藤が見えてくる。カラス神父と少女に憑いた悪魔との戦いは、少年時代の神父と母親を狂気に追い込んだ社会との戦いだったのだ。・・・・・・、と言うようなことを昔盛んに友達に吹いていたのだが、誰も相手にしてくれなかったのを思い出した。狂った母親が地下鉄の入り口に静かに消えてゆくシーンが、何故か頭から離れないのだ。関係ないけど、私の携帯電話の着信メロディはエクソシスト〜チューブラー・ベルズ〜なのです。 |
5月2日
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寒い!なんて陽気なんだろう。GWだというのに綿入れ半纏を着てストーブをたいている。 昼過ぎにとんでもないメールが携帯に飛び込んできた。「アグネスタキオン故障!」驚いた。今年の3歳馬の中では完成度は抜きん出ていて、クラシック三冠そしてテイエムオペラオーとの対戦が楽しみだった馬だ。故障さえしなければ三冠は確実と言われていたのだが、その「さえ」が起きてしまった。明日のスポーツ新聞には「幻のダービー馬」「幻の三冠馬」の見出しが踊るのかも知れない。 トゥナイトでJapanese Reggaeの特集をやっていた。オキナワ・レゲェフェスティバルのレポートをやっていた。今年はJapanese Reggaeが熱いのだそうだ。やっと時代がやってきたかという感じがする。名前は忘れてしまったけれど15年ほど前にジャズフェスティバルで見た日本のレゲェバンドもいかしていた。自分たちの出番が終わると、そそくさと近くの海へ海水浴へ・・・、あの夏もいい感じだった。しかしあの頃のレゲェは一部の限定されたファンだけのコアな音楽だった。ファッショナブルなオネーチャンたちが露出度アップで踊っている姿は気持ちがいい。日本の音楽シーンも豊富なジャンルを分け隔てなく受け入れようとしている。だいたいがモノマネ上手な国民性。全世界の音楽が一番聴ける国になる要素は持っている。多国籍音楽の天国ニッポンになれば面白いし、この国はそうなれると思う。ますます日本の音楽シーンは成熟してきて、これからがますます楽しみになってきた。 |
5月3日
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仕事が終わってから昨日のトゥナイトで紹介していたPUSHIMのCDを探しに比較的大きなCD店へ行って来た。置いてなかった。カツノシンコも同様だった。マスコミを通じて新しい情報を得、より深い情報を求めに行ってもそれらを手にできない。地方の悲しさである。注文をして取り寄せればよいのだろうが、聴きたいときが欲しいときで、瞬間を逃してしまうと興味が失せてしまうことがあるのであまり注文取り寄せというのはやったことがない。売れ線の一部の歌手たちがスペースの大部分を占めているのは商売上仕方がないのは判っていても、このスペースに何百人分のCDを入れられるんだろうと考えてしまった。 YAHOO!のオークションでカツノシンコのCDアルバム「蜘蛛の巣城」を手に入れることができた。何と350円であった。定時期間中に誰も入札する人がいず、スタート価格で決まってしまった。すぐさま出品者の方とメールのやりとりをして銀行振り込みでなく郵便切手での支払いに変えてもらった。少額の取引の場合は振り込み手数料がバカにならないのでこの方法をとらせてもら得るとありがたい。PUSHIMもオークションで2点見つけ入札しておいた。こちらもほとんどアクセスする人がおらず、出品価格で決まりそうな気がする。 明日から4日間の連休である。連休用の暇つぶしにレンタル屋からCDとDVDを何店か借りてきた。レンタル屋の店内は「貸し出し中」の札ばかり。連休のスタートでも完全に後れをとってしまったらしい。ま、何はともあれ私のGWの始まりである。 |
5月4日
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サイテーな連休の始まりである。totoや競馬じゃはずれてばかりなのにどうやら寿司に当たったらしい。甥っ子が遊びに来たので回転寿司で思う存分食べさせてやった。高校生になると食うこと食うこと、負けじと私も暴食してしまった。夜中、気分が悪くなって目が覚めた。当たったらしい。甥っ子の方は、平気な顔で眠っている。原因はヒカリモノか?それとも暴食に胃袋が負けたのだろうか?情けない。冷や汗タラタラで非常に気分が悪い。野生の獣は傷を負ったときにブッシュに身を潜め体力の回復を待つという。(by大藪春彦)ハイエナの気分だ。布団に丸まって体力の回復を待つ。 ところでうちの甥っ子のSクン(中学1年生)はしたたかなヤツである。今回東京から一人でやってきたのだが、田舎に行くのに親を口説いた理由が傑作なのである。彼の夢枕に死んだジーサンが現れて、「Sも中学生になったかー」と言ったそうなのだ。だからどうしてもジーサンの墓参りをして報告をしなくてはいけないらしい。そこで始めての一人旅となったわけである。ところがこの子の親(私の妹)がSクンに輪を掛けてすごい。Sクンが小柄なのを良いことに、なんと小学生になりすまさせて子供料金で寄こしたのである。たった1ヶ月だから、というのが彼女の言い分なのだが、一族みんなにおかしな血が流れているらしく、あきれてしまって何もいえなかった。 |
5月5日
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今TVで「希望の国のエクソダス」をやっている。突き詰めればバラエティショーなのだが面白い。作者の村上龍が不在なのが気になるが、視聴者がメールで同じ時間に参加できるこの方式はなかなかいい方法だと思う。不登校の問題は何とも理解できない。私は学校が面白食って仕方がなかったクチだ。学校がつまらなければ行きたくもなくなるのだろうが、家にいるより学校にいた方がずっと楽しいと思うのだが?問題なのは教師の質の低下につきると思う。素直な子供の質問に答えられない教師が多いのではないだろうか?番組で中学校3年間を私服で通した少女を取り上げていた。「何故制服を着なければいけないのか?」この問いに教師は答えられなかった。「集団生活のためには規律が必要」この程度の答えでは今どきのコドモはだまされない。 ボブ・マーリーの「エクソダス」が効果的に響く。 |
5月6日
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ビデオや映画を選ぶ時、みんなは何を基準や参考にして選んでいるんだろう。 TVやラジオや雑誌などから新しい映画の情報などは否応がなしに入ってくる。ビデオを借りればうんざりするほど予告編が付いてくる。レンタル屋に行けばパッケージの裏表紙の解説を読んでしまう。そういったところから変な先入観を植え付けられてしまう時がある。ジュリア・ロバーツの「エリン・ブロコビッチ」がそうだった。 かなり評判になった映画だったので自分なりに先入観を持ってしまっていた。アメリカ版「細腕繁盛記」または「肝っ玉母さん」。子供を抱えた特技も学歴もない中年女が成功して行く立身出世の物語だと思っていたのだ。GW真っ最中ゆえにレンタル屋には貸し出し中の札が並び、たまたま空いていたDVDを借りてきたのだった。実を言うとあまり本意ではなく期待もしてなかった。ところが見始めて驚いた。完全に裏切られた。六価クロム汚染に関する公害訴訟のモロ社会派ドラマだったのだ。 ジュリア・ロバーツ演じる離婚経験2回3人の子持ちの下品な女が、いわゆる庶民の立場に立って弁護士顔負けの活躍で勝訴を勝ち取る物語なのだ。内容からすればハードな物語をポップにテンポよく進めていくのはジュリア・ロバーツの魅力に負うところが多かったと思う。全編オッパイぼよよ〜ん&ミニスカートのファッションで通し、スーツ姿の弁護士達と見事に相対している姿は爽快だった。ジュリア・ロバーツといえばハリウッドでも一二を争う高額ギャラの女優らしいが、納得できるような気がした。なにしろエンドロールに彼女専用のメイクアップ&ヘアーアーチスト達の名前がクレジットされている。ハリウッドでの主演女優の地位の高さには驚いてしまう。 もしこの話が日本だったらと考えてしまった。エリン・ブロコビッチの成功は被害者の立場に立ったお涙ちょうだい話で終わってしまうのだろう。ところが裁判天国のアメリカでは、彼女の成功は勝訴での成功報酬200万ドルなのである。それも、次の裁判に向けて仕事をしているシーンで映画は終わっている。この前の裁判よりももっと補償金を取れる、というセリフまで言わせて終わっているのだ。所変われば価値観も違ってくるものだと思った。日本映画では決してこの結末は作れないだろう。 車窓から流れ込むアメリカの乾いた風のようにSheryl Crowの"Every Day Is A Winding Road"が最後に効果的に流れている。全ての面でアメリカらしい面白い映画だった。 |
5月7日
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ひたすら怠惰な連休が終わった。眠りたいときに寝る幸せを満喫してしまった。今日は一日中家でごろごろ横になってTVばかりを見ていた。 たけしの番組での「熱血サラリーマンVSフリーター」が各々自分勝手で面白かった。討論会は相手の話を聞かず自分のことばっかりしゃべっているヤツの方が圧倒的に面白い。 「フリーター」というおしゃれな呼び方が世にはばかることになってどれくらい経つのだろう。それまでの風太郎(プータロー)とか失業者とかのイメージからは考えられないほどの、フリーターという今どきの一つの職業のようだ。私は熱血サラリーマンではないし、フリーターにあこがれてもいない。フリーターがこのまま増え続けていくと国が滅びる・・・・、それがどうしたんだい。私は基本的に他人が何をやろうと知った事じゃないという考えなのだが、「大きな事を言うのなら一人歩きしてから言えよ」「てめぇのケツはてめぇで拭け」とだけは言いたい。マンションの家賃を親に払ってもらって月々の仕送りをもらって「私はフリーターしてます」なんて言うヤツにはパーンチ!なのだ。ま、仕送りを続ける親も親だけどね。 深夜、パラパラの踊り方教室みたいなのを見ていた。ラジオ体操を思わせる。そのうち老人会で健康パラパラ体操などと名を打ってやりかねないななどと考えてしまった。 |
5月8日
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みんなはビデオを見るときに吹き替え版と字幕スーパー版のどちらを見ているのだろう? 情報量は吹き替えの方が圧倒的に多いし分かり易い。字幕の方は吹き替えの半分くらいしか表せてない。同時に二人がしゃべるときなんかは字幕は完全にお手上げである。だから普通ビデオを見るときは吹き替え版を借りることにしている。ジョディ・フォスターの「ネル」やダスティン・ホフマンの「レイン・マン」なんかは絶対に吹き替え版でないと言葉の真意は伝わらないと思う。雰囲気が伝わらないとかいって字幕スーパー版しか見ない友人がいるが、拙い英語力であやふやな雰囲気を感じ取るよりも、画面に集中できる吹き替え版の方がいいと思うのだが・・・・。いつも言い争いになってしまうのだ。 ところが最近DVDで映画を見るようになって、字幕と吹き替えを同時にできることに気が付いた。そこで面白いことを見つけてしまった。ヤバイ表現は字幕の方が過激なのである。エリン・ブロコビッチで弁護士達がいくら説得しても取れなかった調停の同意書を、主人公が634人分みんなまとめて取ってきた場面があった。弁護士達が「いったいどうやって取ったんだ?」と尋ねる。そこで言うエリンのセリフである。吹き替え版は「お色気作戦で、5日で634人のアレをしゃぶっちゃった・・・もうへとへとよ」、字幕は「お色気作戦でフェラしまくったのよ・・・もうへとへとよ」なのである。ま、どっちも似たようなものなのだが、視覚的な者と聴覚的なものの表現の違いは何か根拠となるものがあるのかな、と考えてしまったのである。 |
5月9日
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この前オークションで落札したPUSHIM(プシン)のCDが2枚届いた。 エライ歌手がいたもんだ。きっと知ってる人は知ってるし地元大阪じゃ有名なんだと思うけれど、まったく初耳の歌手だった。圧倒的な存在感。うねるレゲェのリズム。一聴で彼女のファンになってしまった。若い頃ならば新しい音楽に敏感なアンテナをそこら中に延ばしていたのだが、今となっては情報源は日中のFMラジオと夜中のTVだけ。日本中にはこんな興味深いシンガーがいっぱいいるのかも知れない。すっかり鈍感になってしまった自分自身が情けない気持ちだ。解説を読むと、彼女はクラブシーンじゃちょっとした有名アーチストらしい。「クラブゥ」ってヤツは高校生のガキンチョが大人ぶって黒っぽい音楽を聴いてチンケな踊りを踊っているところかと思っていたが、彼女のような成熟した音楽が聴けるのならば考え直さなければならない。自分勝手な思い込みと時代がずれていたと言うことなのだろう。40歳を越して若ぶる気持ちは更々ないが、好きな音楽のことくらいは現実をはっきりと捉えて置かなくてはと思ってしまった。 さて彼女PUSHIMだが、レゲェのみならずソウル、ジャズ、ゴスペルの香ぷんぷんの真っ黒い日本人である。歌唱力・表現力はただならぬものを持っている。このCDに収録されているオリジナル曲も良いが、キャロル・キングの"It's Too Late"のレゲェバージョンは聞き物である。こんなにうねるレゲェを歌う日本人を始めて聴いた。 しばらくは彼女漬けになりそうである。今夜はネットで彼女と彼女の周りの魅力的な奴らのことを調べてみるつもりである。 |
5月10日
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BOOK
OFFでMOOMINのCDを見つけたので買ってきた。ジャパニーズ・レゲェの第一人者と言われているらしいので、かなり期待して聴いた。・・・・・が、なんかピンと来ない。軽快なリズムに乗って日本語のレゲェを歌っているのだが、声がきれいで透き通っているせいなのだろうか、イメージとして「潮風」は感じられるのだが「雑踏・混沌」そしてレゲェで最も大事と思っている「土」の感じが出てこない。レゲェはボブ・マーリーやピーター・トッシュなどの初期のシンガーから聴き始めたせいか、絞り出すような肉声に惹かれてしまう。MOOMINはスマートで都会的な歌を展開しているが、私的にはもっと土着的な不器用なレゲェの方が好きだ。幸せを謳歌している歌よりは、怒りと不満たらたらの惨めったらしい歌の方が好きだ。 スチールドラムの音色が鳴り出すと浮かれてしまうのは何故なのだろう。老後は暖かい潮風の吹く南の島で日がな一日ひなたぼっこ。コレが理想だな。彼の歌を聴いて思ったことである。 |
5月11日
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今、並行して読んでいる本が何冊かある。メインは「アンダアーグラウンド/村上春樹」なのだが、一向に進まない。ただ不思議なことに、メイン本に悪戦苦闘しているときにちょいとつまみ食いのように読む本が面白いのだ。そしてますますアンダーグラウンドから離れていってしまう。悪循環だ。最近読んだのが花村満月本2冊。T.クランシー本2冊。仕事の合間に2日に1冊のペースで読んでいる。それだけ仕事中の待機時間が長いって事になるのだが・・・。萬月本は「笑う山崎」と「ジャンゴ」。花村萬月はまずハズレの少ない作家である。登場人物が皆異様な経歴の持ち主なのだが、少しの不自然さも感じず生き生きと描かれている。彼も今の日本では目を離せない作家の一人である。クランシー本はオブセンター物とネットフォース物を1冊ずつ読んだ。レッドオクトーバー以来ずっとライアンを主人公としていたが、最近はこちらの方向に一生懸命らしい。クランシーは題材をポリティカルな物や近未来に求め何を読んでもぐいぐいと引き込まれてしまうのだが、やはり一連のライアン物に比べると最近の著作には不満を感じてしまう。と言いながらも、新作が出ると読んでしまう。今日もオブ・センター・シリーズの新作「欧米掃滅」を見つけたので買ってきてしまった。まだ、さわりの30ページを読んだだけなのだが、もう十分にはまってしまっている。明日はいい加減に仕事をして本気になって読書をするつもりでいる。 |
5月12日
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いい加減に仕事をするつもりがかなり真面目にやってしまって思惑がはずれた一日だった。おかげで久しぶりに早く帰れたのだが・・・・・・、9時に眠りこけてしまった。 ちかごろRe-Mixが気になって仕方がない。このRe-Mixという代物は誰の作品になるのだろう。歌い手や楽曲の作者の手を離れてまったく別物になってしまっている。編曲(アレンジ)の進化した形という捉え方で良いのだろうか。何せ昔にはこういったジャンルがなかっただけに、とまどってしまうことがある。新曲が出た、とすぐに飛びつくとリミックス集だったりする。それを「ちょっと損した」と思ってしまうのだ。コレじゃいけないんだろうな。 昔ジャズ喫茶でキース・ジャレットの「ケルン・コンサート」が爆発的に流行ったことがあった。どこのジャズ喫茶に言っても必ずケルンをリクエストするやつがいて、うんざりしていた。そんなときにこちらの対抗手段は、チャーリー・パーカーのダイヤル盤をリクエストしていた。同じ曲の別テイク集でレコード片面に同じ曲の別テイクが延々と続くのである。これがかかると嫌な客は帰ってしまうし、店主にとってはすこぶる嫌な客だったんだろうな。 別テイク集なら演奏者の表現力の違いや失敗作などを楽しむこともできるのだが、リミックスとなると歌手とは離れてDJの加工技術を楽しむと言うことになるのだろう。正直言ってあまりなじめない。「損した」という気持ちが先立ってしまう。こんなことじゃ、遅れてるってことになるのかな? |
5月13日
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VTRに録画していた「夜はヒッパレ」を見た。MAXのライブはじつに良かった。彼女たちはホンマモンのアーチストになったなと感じた。なにしろかっこいい。彼女たちのソロダンスを始めてみたが、ため息が出てしまった。与えられたひとり16小節の時間をそれぞれが持ち味を生かしたダンスを踊りきった。ジャズでのソロ交換も大いに盛り上がるが、ダンスが音楽に大きな要素を持つようになった今は、こういった形で個性を主張するのも良いものだ。 成功すると練習を怠りどんどんヘタになっていく歌手を多く見てきたが、彼女たちはまだまだ成長している。なぜかホッとしてしまった。 ビデオで「ワイルドシングス」を見た。ガッコの先生と女子高生のサスペンスものなのだが、これが以外と大当たり。プリプリした女子高生は拝めるし、時々お色気シーンもあるし、意外などんでん返し。この結末は予想できなかった。アメリカの女子高生はヒジョーに魅力的で、そりゃセンセだってちょいと誘われりゃ覆い被さっちゃうわなー、同情してしまう。期待していなかっただけにすごく得をした気分だ。 |
5月14日
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DVDを時々買っている台湾のサイトからHP移転のメールが来たので早速行ってみた。台湾のサイトといっても完全に日本人向けのページなので安心して見ることが出来る。以前はいわゆるJ-POP専門だったのだが、演歌DVDシリーズのコーナーが出来てなかなか頑張っている。石川さゆりの音楽会シリーズや美空ひばりも充実している。坂本冬美10周年リサイタルなんかにも興味が引かれる。J−POPのほうでは、DCTのライブやキョンキョンのライブなどあまり見かけないものも出品されている。いずれも1枚\1600。それも書留での送料込みの値段である。きっとアーチストには著作料が入らない違法ソフトなのだろうが、この値段ではついつい買ってしまいたくなる。 これからじっくり検討して、何点か注文することになるだろう。 |
5月15日
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クリント・イースドウッドが監督した作品で「BIRD」という映画がある。BIRDとはジャズファンなら誰でも知っているチャーリー・パーカーという天才・奔放・豪快なアルト吹きの愛称である。主演はクンタ・キンテ?ROOTSで主演したあのおデブちゃんである。彼は映画の中でバードの吹くアルトサックスの指使いを完全コピーしていた。あれだけでも主演男優賞を上げても良いと思った。角川映画の「キャバレー」とは大違いである。 ところで、今日言いたいのはこの映画のサウンドトラックのことなのだ。バードのアルトサックスは彼自身が吹いた1940年代後半から50年代前半の音源をそのまま使い、バックのリズムセクション(ピアノ、ベース、ドラムス)とアルト以外のフロントライン(トランペットやテナーサックスなど)を現代のミュージシャンの新録音で重ねてあるのだ。バードの生きていた頃の録音技術は今から見ればお粗末なもので、ベースはほとんど聞こえないしバスドラは段ボールを叩いているような音、シンバルのシャカシャカ音だけが妙に目立っていた。それが新しい音とのリミックスによって、バードの歴史的名演はそのままで、非常にクリアな音に聞こえるようになった。よりいっそうバードの凄みときらめきが引き立ってくるのだ。さすがジャズ好きのイーストウッドさん、やるべき事はきっちりやるねー、と感心したものだった。・・・・・・、ということを、最近の代わり映えしないリミックスを聞いて思ってしまった。 |
5月16日
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家への帰り道にレンタル屋に寄ってビデオ2本とCD2枚を借りてきた。だいたいこんなところが1週間のノルマなのだ。今回借りてきたのは、ビデオが「ザ・ネゴシエーター」と「ホーク」、CDが「沢田研二」と「AJICO」である。 沢田研二のベストアルバムを聴いた。最近まったく姿を見なくなってしまったが、ジュリーは良い。まず声が艶やかである。そしてほとんどの歌を一緒に歌ってしまう。一時代を築き時代の寵児とも言われた人物が、今やすっかり過去の人となりほとんど歌声を聞くこともない。時代の流れの厳しさと人の移り気をあらためて感じさせられる。彼の一連のヒット曲は甲乙を付けがたいが、タイガース解散後第1作目の「君をのせて」も忘れてはならない名曲である。他の曲と一緒に聴くと明らかに異質の曲だが、歌謡曲ずれしていないメロディーラインと安心できる歌唱力は心を現実から解き放ってくれそうだ。夜景を見ながらの「女殺し」のこの一曲と言ったところだろう。 今ニュースステーションで京都のメル友殺人事件の詳細をやっていた。犯人の周りの人物が言うには、犯人は酒も飲まない煙草も吸わない真面目な人物だそうである。酒も煙草もやらないから、暇をもてあましおかしな方に走ってしまったような気がするのだが・・・・。酒も飲むし煙草も吸うし賭け事は大好きだし・・・・、私はかなり不真面目な人間なのだろうか? |
5月17日
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読みかけの本がいっぱいあるというのに、「真夜中の犬/花村萬月」を読んでしまった。再々読である。花村萬月は何度読んでも新鮮である。馳星周は新宿を舞台としているが、萬月は渋谷が多い。この「真夜中の犬」のおおきなテーマの一つに「不平等」がある。人間は不平等の上に成り立っている。身体障害者に対する健勝者の目はどうしても同じ位置では見ていない。体の不自由な人が何かをやればよくやったと誉めるが、それは対等な立場で言っているのではなく、必ず「○×が○×なのに・・・」という但し書きを付けてしまう。口には出さなくとも、心の中ではそう思ってしまう。それは不具者にとっては失礼なことなのではないだろうか?不愚者を健勝者と同じ立場で付き合うのならば、非難されようとも、健勝者以上のことをやってから誉めるべきである。 ジャズ界にはなぜかカタワモンが多い。というか、目立つ。ジャンゴ・ラインハルトは手が不自由なギタリストだし、ローランド・カークはメクラのサックス吹き、ミッシェル・ペトルチアーニは身長が1m足らずのピアノ弾きだ。スティービー・ワンダーもしかり。しかし彼らの音楽は、不愚者にしては・・・、という評価は受けていない。不愚者健勝者の分け隔てなくすばらしい音楽のクリエーターなのである。「○×の割にはよくやっている。」という評価は決して○×の人に対して正当な評価を与えていないのである。ハンデを克服するための努力は並大抵のことではないだろうが、健勝者もそれくらいの努力はしているのである。健勝者を越えてこそ讃えればよいのであって、生半可な称賛は同情と自分の優位性の確認でしかない。 ・・・・・・てなことを、暴力とセックスがいっぱい詰まった本を読みながら考えてしまったのだ。 |
5月18日
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FMラジオで井上陽水の「銀座カンカン娘」を聴いた。これまたなかなかの良い出来である。ブギウギも陽水が歌うと、悠久の大河の流れの如く、のんびりと流れるのが面白かった。今月の末にカバーアルバムが発売されるらしい。どんな曲をどんな風に歌っているのか、今から発売日が待ち遠しい。「銀座カンカン娘」といえば、今まで聞いた中で一番のお気に入りが、サディスティック・ミカ・バンドである。高校生の時にライブで聴いたのだが、無伴奏のコーラスから入って、軽快なブギウギサウンドを聴かしてくれた。確かこの曲の作者は服部良一だったと思うが、彼は当時の音楽会では先端を歩いていたらしい。あくまでも日本的な古賀政男とは対照的である。第二次世界大戦が終わって抑制が解き放されるように、次々とヒット曲を作った。アレンジによっては今でも十分に通用するメロディだろう。 |
5月19日
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Crystal
Kayを聴いた。ダウンタウンが倉木麻衣を「宇多田のパクリだ」と言って物議を醸したときがあったが、彼女を聴いた第一印象としてはまさしく宇多田のパクリだった。無理にR&Bっぽいことをやっているような気がした。 宇多田ヒカル、倉木麻衣、クリスタル・ケイの3人を並べて聴いてみると、パクリ問題はさておいて、オリジナリティという点ではやはり宇多田が抜けている。曲を自由気ままに変化させる想像力は今のところの同年代の歌手の追随を許さないだろう。宇多田ヒカルのすごさは、表現力と想像力と切ない歌声の3つが備わっているところにある。この3つを全て兼ね揃えている歌手はそんなにいなのだ。 さてCrystal Kay ちゃん。将来性は倉木よりもずっとある面白い存在だと思う。今はもっとポップに素直にはじけてもいいんじゃないだろうか。難しいことを背伸びしてやっているような気がする。なにより彼女はビジュアル的になかなか良いのである。委員長タイプの倉木麻衣よりもつま先立ちで背伸びをしているコギャルのケイちゃんのほうがずっとタイプなのだ。いずれにしろ彼女は大きく花開くときが必ずやってくることだろう。それまでは頑張って欲しいと思う。 それにしても可愛い子だ。オジサンは応援しちゃうよ。 |
5月20日
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連休にでもWin2000に変えてみようと思ったのがことの始まりだった。CD-ROMの調子が悪いのかインストール途中で止まってしまう。2000はあきらめて十分に調子のいい98に戻したのだが、2000が半端にインストールされたせいかはなはだ不安定な状態になってしまった。連休だし久しぶりに再セットアップをしてみようと、気軽にFDISK、フォーマット、インストールをしたのがまずかった。ほんの些細なミスでなにも入っていない幻のドライブができてしまって、ソフトとの関連付けがうまくいかない。四苦八苦の後に何とか元の環境に戻したものの、セットアップなどのシステム関係をいじるときには慎重にやらなくてはいけないことを実感した。またも自分のためにセットアップの仕方のページを作ってしまった。HPは他人への発信も大事なのだろうが、なによりも自分のために知識を残しておくところ、自分がWebを歩きやすいようなリンクを作ったり、自分勝手にわがままになっても良いと思う。 毎週GTレースが続き競馬ファンには堪えられない季節なのだが、毎週はずれてばかりでは財布の方が心許ない。とはいうものの、1週間楽しめるレジャーとしては安いものだ。来週こそは競馬口座の残高が増えるようにまた1週間楽しもう。何てったってダービーだ。 |
5月22日
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エライ3連休になってしまった。HPで公開したとおりにセットアップが進み、アンインストーラーU98に登録しながらセッセセッセとソフトをインストールしていった。MP3ファイルの再生レコーダーを2種類入れているのだが、入れる順番を間違えたためにファイルのアイコンが変わってしまった。別にシステムに支障はないしフォルダオプションで変更すればよかったのだが、両ソフトをアンインストールして順序良く入れ直そうとしたのが大トラブルのきっかけだった。アンインストーラーU98を使ってWinampをアンインストールした瞬間、デスクトップが真っ白になった。後はどうやってもWindowsが起動しない。「起動ファイルがありません」とか言い出して・・・・・・・、2日続けてセットアップをする羽目になってしまった。おかげで達人になったらしく、ここまでは2時間くらいで復旧した。あしたのジョーでもあるまいし、目の前が真っ白になった恐怖は言い難い。まったくとんだ連休になってしまった。ビデオの返却日が明日なので「ザ・ネゴシエーター」も観なくてはならないし、今夜はこの辺でPCいじりは止めとしよう。 昨日、取引先のデパートが倒産した。今夜TVのニュースを見ていたらウチの人間が商品の運び出しでしっかり映っていた。今日休みでなかったら私の仕事だった。何となく悔しい。でも、その場にいたらやっぱりうつむき加減で地味に仕事をしていたんだろうと思う。ま、当事者には大変なことだが、高みの見物の第三者は気楽なものである。 |
5月23日
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「ザ・ネゴシエイター」を |